何の予約もなく転がり込んだ、庶民的だけどなかなか風情のある旅館。
オフシーズンで他にほとんど客もいないという事もあり、夜中の突然の来訪でも、快く泊めて もらえた。
思いもかけず、温泉に入ったり、土地の料理を堪能したりと、まさに「旅行」を満喫する事となった。
思えば、鷹の目のお屋敷に勤めてからは、住み込みで働いていて、それなりに毎日忙しかったし、旅行なんて全然していなかった。そもそも、旅行なんて行動自体、彼女がいる時くらいしか、あんまりした事ないし。元彼女サン達と泊まってたのも、大抵ホテルだったしで。
修学旅行以外で、「旅館」なんて泊まるのは初めてだ。
なかなか悪くないもんだな。何てゆか、情緒があって。
若干古びた木造の柱や畳の部屋だが、それがまた味があるというか。
装飾も華美すぎず、適度なもので、センスもかなりいい。

「なあなあ、なかなかいい所だな。お前、よく来る所なのか?」
「いや、全然知らない。初めて来た所だ」
「じゃー「当たり」だなー。ココ」
「そうだな。メシもうまいし」
「あァ、それは料理人のおれに対する挑戦?」
「はは。テメェのもうまいって」

おれの言葉に、酒を仰ぎながらゾロが答える。
さっきからずっと、たあいも無い会話を交わしていた。
無口なゾロが、珍しく饒舌(という程喋ってるわけでもないが)に答えてくれるあたり、コイツもちょっと浮かれてるのかもしれない。
もしくは、結構体内に入っているアルコールのせいか。
旅館内で売られている酒を大量に、あとつまみを少々買い込み、部屋に持ち込んでいた。
男二人の小さな宴会状態。夕メシもあれだけ食べたってのに、酒は別バラなんだなーと自分でも感心する。
酒飲みながらの会話は、まだまだ続いていた。

「しかしあれだよ、おれ、男と二人きりで旅行なんて初めてだー」
「旅行とはちと違うんじゃねェか、これ」
「まーな、テメェの家出のつきあいだ」
「家出じゃねーよ」
「あれか、やっぱ、お屋敷の坊ちゃんてのは窮屈なんか?」
「そーゆーワケでもねーけど…。おれはおれでやりたい事やってるし」
「いーや、おれだったら疲れるね。金はあるに越したことないけど、ありすぎると疲れる。お前も無意識にそーに違いない。だからこんなトコまで来たりすんだ」
「別にそんな深く考えちゃいねーよ。まァ、お前にこんな所まで来させたのは悪かったが」
「あー、もういーや。宿泊費おごってもらったし。ま、飲め。どんどん飲め。おれも飲む」
「飲んでる。…つか、お前の方はそろそろ止めとけよ。真っ赤だぞ」
「顔出やすいの。酔ってませんー」
「…口調が酔ってるぞ…」

そーかも。
だめだ、酔ってないと言いつつ、微妙に視界が揺れてる。顔も熱い。
おれも別に酒弱いわけじゃないが、ここまで飲んで全く態度も顔色も変わらないコイツはすげーよ。そこらへんにビールの缶と日本酒の瓶、何本転がってると思う?
あーダメだ。くらくらする。
思わずごろんと寝転がると、頭が近くにいたゾロの、あぐらをかいた足に当たった。
目の前には、旅館備え付けの、白い布地に薄い青色で波の模様が描かれた浴衣に包まれた片膝がある。

「あああこれが女の子の膝だったらなー。膝枕してもらっちゃうのになー。”酔っちゃったー介抱してー”って」
「ばーか」
「いいや男でもー」

…今思うと完全に酔ってたな、その時。躊躇いも無くひょいと、目の前の膝に頭を乗っけてしまった。

「おい、離れろ。気色悪ぃ」
「やだよー。あー固い」
「当たり前だろ、女の膝と一緒にすんな」

下から見上げると、まだ酒を煽っている。強いねホント…。ザルめ。
酔っ払い相手だから呆れて諦めてんのか、膝の上のおれを振り落としもせず、そのまんまで。それをいい事に、おれはずっと膝の上からその顔を見上げていた。
「…何だよ」
見下ろす目と目が合う。
どっちかってとキツめな黒い瞳。顔立ちもキツい方だが、整ったものだ。
ゾロは普段あんまり表情出さないけど、その分怒ってる時の迫力とか、笑った時のあどけなさが目立つ。

そういや、さっきの笑顔…。

あの、おれが友達と思われるのは悪くないとか何とか、べらべら捲し立てた後に見せた表情は、かつてない程印象に残った。
一瞬、見惚れた。
かわいいというか、どことなく頼りなげな柔らかさで。
こいつがあんな表情するなんて、想像もしてなかった分だけ、余計にドキっとした。

 

あーゆーのは、好きだと思った。

 

急に、むしょうに触れたくなり、両手をその頬へと伸ばして、ゾロの両方の頬をぺたぺたと触ってみた。
そのままゾロの首に腕を回し、ぐいっと引き寄せる。
「おい…」
零れないよう、酒の入ったカップを脇に置き、おれを咎めるように見る。
ああ、随分近くに顔があるな。
片腕でゾロの首を引き寄せたまま、肘をついて若干身体を起こし、見下ろす顔に、ゆっくりと近づく。
下からそっと唇を重ねた。アルコールの回った熱い頭では、何も深く考える事なんて出来ず、ほぼ無意識での行為だったと思う。

 

どうしよう。
何してんだよおれ。
で、何でこンなことしてんのに、逃げねーんだよ。
殴って止めろよ、こーゆー時は。おれの頭を冷やす為に。
なあ、ゾロ───────

 

接吻けた時と同じように、ゆっくりと唇を離すと、閉じていたゾロの目が薄く開いた。
目が合う。
寝転がっていたせいで、乱れて右目にかかっていたおれの髪を、ゾロがそっと払った。
指先の感触が、心地いい。
ヤバい。勘違いしそうだ。

「…おれ、ホントに酔ってるみたい」
そのおれの言葉に
「それが言い訳か?」
目を合わせたまま言われて。
その瞬間、箍が外れた。


寝転んでいた身体を起こし、既に部屋に敷かれていた柔らかい寝具の上に、ゾロの身体を押し倒した。
あとはもう、何も考えられなかった。

 



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