「おーいゾロ、さっきの島で手に入ったワイン。飲みたいなら飲ませてやらんこともないぜ?」


頭上から降ってきた、居丈高な台詞に目を開ける。
濃い茶色の酒瓶を手にしたサンジが、夜半の甲板に寝そべっていた自分の傍らに立っていた。
お前は今晩見張りの筈じゃなかったか。まあこれだけ静かな凪の海なら、不審な物が近づけばすぐに判るだろうから、見張り台にいなくても大丈夫だとは思うが。
上半身を起こすと、対面の位置にサンジも座る。
「見た事ねえ酒だな」
「あの島の特産品とか言ってたぜ、酒屋の親父が」
コルクの蓋を開け、サンジはそのまま瓶に口を付ける。
グラスを持ってきていないところを見ると、そのまま瓶から呑み分けようってか。
ふ、と。…間接何とやらという単語が頭に浮かび、自分のこめかみ辺りを殴りつけたくなる。
何考えてやがる自分…。

「───ん?」

こちらが葛藤している間に、酒を飲み込んだサンジが目をぱちぱちと瞬かせ、小さく首を傾げた。
「…どうした?」
「ワインの味にしてはちょっと変わってるっつーか……これ何か混じってる…?」
味に関しては敏感なコックだ。こいつが言うなら確かに妙な点のある酒なんだろう。
「普通の酒じゃねえってことか?」
「ああ、これ立ち寄った酒屋で普通に買ったんだけど…、いや、普通にじゃなかったかな」
「普通じゃない買い方って何なんだ」
よく判らず問いかけると、サンジは暫く言いづらそうに視線を彷徨わせていたが。やがてぽつりと、
「…恋人と飲むとムードが高まる酒、とか言ってた……」
そう呟いた。
ああそうか、とその言葉に納得する。
あの島で、引っ掛けた女と飲むつもりで購入したんだろう、と。
だが今ここで栓を抜いたという事は、どうやら誰かと共に飲む機会は逸したらしい。
むかっ腹が立つような、それでいて安堵したような、複雑な心境で酒瓶を眺めていたが。

「う……わ」

唐突にサンジが身体を丸めながら呻いたので、そちらに視線を移す。
「おい、どうした?」
「これ……変、だ」
背を丸め蹲り、膝に顔を埋めてしまったサンジの表情は判らない。
だが、その身が震え始め、耳が真っ赤に染まっていく。
「サンジ、おい!?」
尋常じゃない様子に、慌ててその肩に手を置き、名を呼ぶ。しかし返事らしい返事はなく、何やらぶつぶつと、途切れる息の合間から呟く声だけが聞こえてくる。
「ちくしょ…あの酒屋の親父阿呆か、こんなのムードどころか…っ……」
「おい、何なんだよ? まさか毒盛られたんじゃねーだろうな…?」
それならすぐにチョッパーを叩き起こさなくては、と立ち上がりかけるが。
「いい、違う。毒じゃねー……」
サンジの声がおれの行動を止めた。
毒ではない、と言うものの、苦しげに息が上がっているさまはどう見ても普通の状態ではない。
「おい…」
呼びかけると、膝に埋めていた顔が上げられ、視線が合った。


───待て。
何だそれは。


頬が上気し、白い肌が薄い紅色に染まっていて。
苦しげにすがめられた目元は、いつもより潤んでいる気がする。
普段の様子とはまるで違う。
感じたのは、壮絶な色気。

「…ッ、」


目にした、サンジのその表情は。
目前の相手に密かに恋心を抱く身としては辛い────


などと思った瞬間に、口を開いたサンジが暴露した内容が、心理的に追い討ちをかける。

「これ、性欲増強剤みたいなのが混じってるみてぇだ……媚薬だな、一種の」
「…………は?」

媚薬。そう言ったか?
思わず固まった自分に気づく様子もなく、目の前の男は言葉を続ける。
「…ま、確かにらぶらぶに出来上がった恋人同士で飲みゃ、ムードもプレイも盛り上がるかもしんねーが………お前と飲んでもなあ…」
苦笑を浮かべつつ言い放つ本人は、軽口を叩いているつもりなんだろう。
だがしかし、息が上がり眉根を寄せるその様子は辛そうで、更に本人は気づいていないだろう淫らがましい色気までも滲ませていて。

「てめェに先に飲ませなくて良かったよ…。こりゃすげーぞ……」

呟きながら、はあ、と零す吐息に。
心臓を鷲づかみにされるような衝動を感じた。


ずっと想っていた相手。
その人物が目の前で、こんな状態に陥っていて、どういう行動を取ればいいというのか。
────衝動のままに、触れてしまいたい。
────抱き締めて、組み敷いて、何もかもを手に入れて。
そんな衝動を押し殺す。
駄目だ。それは駄目だと、必死で暴走したかけた自分の心を制止する。

混乱し、熱を持て余しているサンジの身体を手に入れるのは、今なら簡単だろう。
だが、その一時の激情に駆られて、実行して。そしてその先はどうなるというのか。
媚薬の効果が切れて、正常な状態に戻ったサンジから、卑怯者と蔑まれるのがオチだ。

「う…」
葛藤している間に、サンジはふらりと立ち上がる。
だが、足元が覚束ない。
「おい、大丈夫か?」
どう見ても大丈夫じゃないが、慌ててそう声をかけた。
「わっかんねー…おれもこんな状態になったことねェし。…とりあえず便所で出してくる……」
排泄ではなく、高まった欲望を己の手でどうにかしてくる、という意味だという事はすぐに判った。
それはそうだろう、この船内にはその手の欲求を解消できる相手はいない。
ナミもロビンも、サンジにとっては聖域のようなものだろうし。歯の浮くような台詞を並べ立てるが、恋人とする為に本気で口説いているようには見えない。
まあ、そんな風に真剣に口説いたとしても、なびく事は絶対にないだろう連中だが。
「っ、おい!」
歩き始めたと同時にふらついたサンジの手を掴む。
その掌の熱さに、ぞくりとこちらの熱まで急激に高まる。

そんな自分の反応を嫌悪した。

「…は……」
己への嫌悪感は生じているのに、サンジのいつもより赤く染まった唇から零れる、湿った溜息に煽られ、自制の箍が緩んでしまう。


「手伝って…やろうか」
「? 何…言って……、ッ!?」


おれの言う意味を理解できず、問い返すサンジの語尾が驚きに跳ねた。

服の上から、下肢に触れられたせいで。




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