窓の外が白んでいる。 ああ、夜が明けたんだなと、床に横たわったままぼんやり思う。 うまく纏まらない思考を何とか纏めようと、ゾロは目を閉じる。 激しく蹂躙され、受け入れる身体と精神の負担に耐え切れず、意識を手放した事を思い出す。 目覚めた瞬間は、見慣れた部屋の風景を認識して、全てが夢かと思ったが。 動かそうとして痛んだ身体に。内奥の鈍痛に。 小さく呻いて悟る。 夢じゃ、なかったと。 瞳を開け、首を巡らせ見ると、身体中に鬱血の印が残されていた。まるで、忘れる事など許さないと主張するかのように、証として。 衣服を剥ぎ取られたままで床に放置され、冷えきった身体に残る、情交の無残な痕。 「……何だよ、これ……」 頭は未だ混乱したままだ。何故。自分の身に起きた事態が理解出来ない。 何故こんな事を、何者が。何故抵抗出来なかったのか。己の指一本すら動かす事が出来ないような状況に陥っていた、あの時。 一体相手は自分に何をしたのか。 目的は一体──────。 何故、何で、何故、と。そればかり。 疑問符だけがゾロの頭を巡る。 .蹂躙されている最中の恐怖は、大分薄らいでいた。 あの時は、命すら奪われてもおかしくはない状況だった。だがそれが杞憂となった現在では、ただ相手に憎悪を抱くばかりだ。 どのような方法を使ったのかは判らないが、相手により身体の自由と視界を奪われ、抵抗を封じた上で、同性の自分にあのような行為を強いたのだ。 忘れる事など、到底出来そうもない、陵辱。 思い出して、その屈辱に身体が震える。 だが。 背後に密着した、正体不明の相手の身体。 肩口に押しつけられた頬が。僅かに震え、───濡れていたような気がするのは。 霞む意識下で、微かな嗚咽を聞いたような気がするのは。 ──────気のせいだったのだろうか? |
風に揺れる桜の騒めき
流れる川の水音
朦朧とした意識で、自分は死ぬのか、と。 |
「!」 ピピピピ、という高い電子音で目が覚めた。 何か、夢を見ていた気がする。 ぼんやり霞む頭を振りながら、布団へと横たえていた身を起こし、ゾロは音の方向へと首を巡らせた。 枕元の携帯電話が鳴っている。 「……ハイ…、……んだ、くいなか」 番号を確認もせず取り上げた受話器の向こうの声は、幼馴染の少女の物だった。 『何だとは何よ! …なに、寝てたの?』 今日学校休んでたから、どうしたのかと思って、と、くいなが問う。 「ああ、悪ィ…」 体調などの心配をして、かけてきてくれたのであろう相手。だが勿論、真実の一片さえ言える筈がない。 「明日からちゃんと行くからさ。…いや別に、何でもねェよ。ああ、じゃあな」 二言三言会話して、電話を切った。 溜息を付きながら見下ろす自分の身体。寝起きで乱れたシャツの合わせから覗く肌には、まだ痕がくっきりと残っている。 朝、あの悪夢の果てに目覚めてから、身体を清めて、布団へと潜り込んだ。平日で授業はあったが、無断で休む程に身体と精神は疲弊していた。 一眠りしたら、大分体力は回復した気がする。精神状態も、少しは落ち着いたようだ。 これなら、明日からはまた何も無かったように、高校へも行けるだろう。 そんな事を考えながら、それでも布団の上でぼんやりしていたら。 コツッと窓に、何かが当たる音がした。 「?」 窓の外を覗くと、下には黄金の髪の幼馴染の男。 この部屋は2階なので、距離はそこそこあるが、それでも白い肌も表情もはっきりと判る。 「よう」などと気軽に手を振ってはいるが、ゾロにはその笑顔がどこか無理しているに感じた。 「何だお前、こんな所で…」 用があるなら、部屋を訪ねてくればいいのに、と思う。 窓を開けると、桜の花弁が部屋に数枚、風に舞いながら入って来た。 向かいの一軒家に植えられた、古い桜の木の物だ。 桜の花。 視界に映る、淡い色のそれは、何故かいつも懐かしさを引き起こす──── 一瞬、その景色に気を取られていたゾロに、声がかけられた。 それは、あまりに唐突な内容で。 「…お別れしに来た。もう会えないから」 低く、柔らかい声が耳に入った途端、強い風が吹いた。 舞い上がる、淡緋色の波。花弁に視界を奪われる程の。 「な…!」 思わず瞼を閉じたゾロが、風の収まりを感じて目を開いた時には。 窓の下に在ったその姿は、既に無かった。 (どういう事だ…?) まだあいつは近くにいる筈。 呼びとめようと、名を呼ぼうとした時。 「……………!」 その名が、出てこない事に気付いた。 幼馴染の筈なのに、そんな訳がある筈ないのに。 必死で手繰り寄せる記憶の中には 「………何で」 何も、相手を証明するものは無かった。 共に遊んだ記憶も無い。名を呼んだ記憶も。 住所も何も、自分は覚えていない。いや違う、覚えていないのではなく、最初から知らない。 ────何故、幼馴染だと思い込んでいた…? 名前すら知らない、その相手を。不自然だとも思わずに。 「…どういう事だ……?」 驚愕に身を凍らせたゾロの呟きが、小さく響く。 答えは無く、緩やかな風に未だ舞う桜の花弁のみが、ゾロの疑問を聞くかのように揺れていた。 |
「その名に懸けて、誓う」
──────「約束」、だ───────