ちょっとした騒ぎになってしまった些細な喧嘩(?)も無事終わり。
それからしばらく後、騒ぎの勝者達は一軒の宿先にいた。小さな民宿風の安宿で、何やら揉めている。




「つまんねェよー、おれ、決めてた所あんのに…」
「うるさい」

ぶちぶち文句を零しているサンジを睨みつけ、ゾロは宿帳にサインした。
サンジの方は何やらずっとゾロに対して不満を漏らしていたが、しばらくして諦めたように相手をかえて言った。
「……あーオヤジ、おれ、こいつと同室ね」
「なっ!」
宿の主人に対して、不貞腐れ気味にサンジが発したその言葉に、ゾロが反論しようと口を開くと。
「ナミさんに「なるべく節約しろ」って言われたろ? あと「騒ぎを起こすな」ともな。後者の方はテメェ、既に約束破ってんだぞ。ナミさん怒らせたくないなら、せめて宿代くらい節約しろよな」
なんて言われてしまった。
相変わらず口が達者なサンジに、ゾロは丸めこまれてしまう。
う…と言葉を詰まらせ、気付いたら二人部屋を用意されてしまっていた。
鍵を受け取るサンジを恨めしげに見遣る。
二人で代金を割ると、一人部屋を二つ取るよりは余程安いのは確かだが。
しかし、同室にはなりたくなかったというのが本音だ。
そんなゾロの心情を判っているのかいないのか、サンジはさっさと定められた部屋へと、ゾロを引っ張って行った。




部屋について、安物らしい固いベッドにごろりと寝転がり、サンジは呟いた。
「でもさー、やっぱつまんねー。折角いいホテル探しておいたのに…」
「馬鹿かテメェ……」
さっきからサンジがつまんないだの何だのぶちぶち言ってるのは、実は宿についてだった。
どうやらサンジは、またラブホテルへとゾロを連れ込むつもりでいたらしい。
「ンな所、ひっかけた女と行けば良かったろーが!」
安い宿だけあり、壁が薄いのは廊下を歩いてる時点でよくわかったので、極力声を押さえて低めに怒鳴る。
それに対する返事は以下の通り。
「だから、おれみたいなシャイで照れ屋で純情な男がよ、女の子に「ラブホ行こうv」なんて言えないつーの」


─────誰がシャイで照れ屋で純情だって…?


心の底から問い正したい思いに駆られたが、それを口に出す前にサンジの言葉に遮られてしまった。
「それに、おれは一応、恋人いる時は浮気はしねーよ?」
にっこりと笑顔を向けられ、そんな事を言われてしまう。
その上、腰に腕を絡められ、抱き寄せられたりなんかして。
「うわあっ!!」
思わず壁の薄さを忘れて、泡食った悲鳴を上げると、「うるせェ!」というガラの悪い声と共に、ガンと壁を蹴る音が響いた。
「……!」
隣の部屋を借りているらしい人間の、荒っぽい注意に、ゾロは思わず自分の口を掌で押さえる。
「だからラブホにしよーって言ったのになァ。ここじゃ大変なのはテメェの方だぜ?」
「何もしなけりゃいいだけだろうが!」
小声に怒りを含ませて、ゾロがじたばたと暴れるが、その動きをうまく吸収しつつ、サンジは服の上から悪戯を仕掛けてくる。
細い指先が、ゆるゆると布越しに身体を辿る感触。
辿られた皮膚に、じわっと熱が篭もるような感覚は、錯覚の筈なのに。
「やめろって言ってるだろ…ッ!!」
流されたくなくてゾロは必死で言葉を探した。
「そ、それに、浮気しねえとか言ってたが、女誘ってたろーがテメェ……!」
「え、一緒に食事くらい、浮気じゃねーだろ?」

…………………………………

根本的にどうやら、価値観すら違うらしい。
思わず無言になってしまったゾロに、サンジはまだまだ語りかける。
「女の子はやっぱ可愛いし、話すの好きだし、つーか存在そのものが大好きだし。褒めるのだって礼儀だろ? お前にそんな事したってどーせ、不審な目だ見られるだけだしなー」
勝手な事をべらべらと。
「おれはお前と女の子に対する態度を同じにする気ゃねーよ。お前の事は、何かこう…」
そこで一旦言葉を切り、んーと悩む素振りを見せて。

「モノにしたいとか、奪いたいとか、めちゃくちゃに壊したいとか。そーゆーカンジ?」

聞いた瞬間、また湧き上がった怒鳴りつけたい衝動を、必死で耐えた。コイツ相手に何を言っても、結局堪えないだろうという諦めのような気持ちが芽生えてしまっていた。
前回の島の、あのラブホでもそーだった。という事は、また自分は丸めこまれて流されるのだろうか、ここでも……。




ただ、先程の一件で判った事がある。
あの、ならず者達の野次には、心から嫌悪を感じた事。
ちょっとでも、あんな奴らに触れられる事を想像しただけで、込み上げた寒気と嫌悪感。
サンジ相手には、どれだけ触れられても感じなかった感情だ。

(別に、男じゃなくちゃダメになったわけじゃねーんだな……)

駄目な人間は、やっぱり駄目なのだ。
先程まで、もしかして自分は男じゃなくちゃ感じなくなってしまったのかと不安になっていた心が、少しだけ浮上した気がする。
だが。問題が一つ。
それは、サンジ相手ならいいのか、と。
サンジならば、あんな事されても、戸惑いはあるものの、それは嫌悪ではない。
それってつまり─────────




「…最悪、だ」
「え?」
小さく呟いた声の意味が判らず、サンジが問う。
「…………何でもねー………」
教えてなんかやるものか。
このアホを調子に乗らせるだけだろうというのは、さすがに鈍いゾロでも判っていた。
結局全てを許していた、前の島での行為。
船の中で触れられる度に、どこかで流されかけていた心。
今日不機嫌だった自分の感情も。
「何だよ、無理にでも言わせるぞ?」
ちょっと気分を損ねたらしいサンジが、ゾロの服の上から強く胸の突起を摘んだ。その行為に、びくっと跳ねた身体を、抱き込むように寝台に押し倒す。
ぎし、と木の擦れるような音が、組み敷かれたマットの下から響いた。
「……ここですんのかよ?」
気付いてしまった自分の思いに混乱しつつも、それを受け入れてしまうと、もう跳ねつける事は出来なくなっていた。
今だって、さっき女と寝た時とは比べ物にならない程の、胸の奥に点る心の昂ぶりが、認めたくはないが確かに存在していて。
期待感、みたいな何か。
自棄に近い、でもそれだけではない思いを自覚し、身体を投げ出してもいい気がしてくる。
だけれど。
壁の薄さも、ベッドのスプリングの音も、それに素直に流されようとする心をセーブした。
「ここじゃ嫌だ」
まだ、ゴーイングメリー号内の方がマシな気すらしてくる。
なのにサンジからの返事はつれない物だった。
「駄目。おれがどんだけ待ったと思ってんの」
船の中で、仲間に見られるかもしれないというのを、ゾロは嫌がっていたから。
それに、ある種の駆け引きだったとも言える。この3週間の行動は。
ゾロが自分を意識している事は、どんなに隠そうとしても、または本人は無意識だったとしても、聡いサンジには充分伝わって来ていた。なのに、言葉では拒むばかりで。
だったら、こちらもがっつかないで、余裕を見せていればいい。
自分の意識している相手から真意が見えてこないとなれば、益々激しく意識してしまうのが人情だろう。
押されれば逃げたくなるくせに、引かれればそれはそれで気になってしまうのは、誰しもが心の何処かに持つ複雑な感情だ。
その為に、この島に着くまで我慢して。
向けられるゾロの意識を、ここまで育てた。

(まあでも、やっぱいろいろ触っちゃったんだけどね……)

欲求は隠し切れず。だがうまい具合に、そんなささやかな接触も、ゾロを翻弄する一端にはなったようだ。
そんな相手の抵抗なんて、意に介す必要も無い。

「声出さなけりゃいいだろ?」
まあ頑張れよ、と、暢気に言い放ったサンジを睨みつけ
「勝手な事を言うんじゃねぇ」
と、ゾロはその腕から逃れようと、目前の黒いスーツを纏った肩に手をかけて強く押す。
「なに、声上げない自信ないのかよ?」
少し揶揄うように言う。こういう言い方をすると引けない相手の性格も、サンジにとっては全部承知の上だった。
「ふざけん………」
な、と叫びかけた唇を、最後まで言わせず塞ぐ。
しばらくもがふがと何か言いたげにもがいていたが、深く斜めから合わせた唇を食むように動かしたり、舌で相手の上顎をなぞったりしているうちに、段々静かになっていった。
「は……」
離れた唇から、湿り始めた吐息が零れる。
抵抗なんて簡単だ。逃れるのだって。サンジより腕力が劣っている相手ではない。
それでも何だかんだ暴れながらも、最後の最後で全て受け入れるのは。
「ゾロ………」


その意味くらい、もうそろそろ気付いているだろう。幾ら何でも。
そんな思いも込めて、名を呼んだ。




舌打ちする音が小さく、腕の中の人間から響く。
許容の合図はいつもかわいくない。前回は「一度きりって言ったからには、一度だけだ」とかいう捨て台詞じみたものだったよーな気がする。
まあでも。
(そんなところが「らしい」んだけどな)

サンジが小さく笑った。



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