バラティエは元々、レストラン経営から大きくなった企業だ。
その環境によるものか、サンジは昔から厨房に入る事も多かった。企業の為の研究と称して、調理にも手を出していた。
料理という、「創造」。それが好きだったのだ。
学園生活でも、シャレのようにその系統の部活に所属して、冗談まじりに変わった嗜好をアピールしていた。でも本当は本気で、調理に取り組んでいた。
誰かに自分の作ったものを食べてもらうのが、純粋に楽しかった。
自分の調理した食事を食べて、口数の少ないゾロがぼそりと「うまい」と呟いた。その表情が今も忘れられない。
その時だけは、本来の自分でいられたような気がする。


サンジの心の奥底にずっとしまわれていた夢は、他人の生きる糧となるその「食材を調理する」という行為で、身を立てる事。
ゾロの表情に、その夢が僅かにだが叶えられた気がした。


心を、立場を、強固に絡める糸からサンジが解放される事が、死の間際の祖父の望みだったならば。
失いかけた「本来の自分」を探す事が許されたというなら。
祖父が死んだ時とは違う意味で、今までの自分を捨てられる、と思った。
ただ、ゾロの事を思うと胸が締め付けられるような痛みが走る。
何があっても、彼の元に戻る事は出来ない。それほどに、サンジの犯した罪は重かった。
謝罪も、彼を再び傷つけるだけだろうと思う。
そして何より、勇気が無かった。卑怯だと自覚していても。
顔を合わせる事なく、夢を叶えるために慌しくフランスまで旅立った。
自分の存在を今まで生きていた環境から抹殺し、ゾロの視界から綺麗に消える事で、少しでも早く自分を忘れてもらいたかった。いや、自分の方こそ罪を忘れたかったのかもしれない。
逃げたのだ、と自覚している。

────でも、ゾロは今また目の前にいる。
何の輝きを失う事も無く、サンジのすぐ近くに。




忘れてくれたらと思った。
しかしこうして、ゾロは決着を付けに来た。遠い距離にも負けずに。
だからサンジは全てを話した。幼い頃からの境遇、葛藤、フランスに来るまでの経緯も。
ゾロに対する、歪んだ恋心も全て。

「……悪かった。許してもらえなくて、いい。本当に酷い事したのは判ってるから」
随分と、長い告白になった。
俯いて話すその長い事実を、ゾロは無言でずっと聞いていた。
やがて、沈黙が訪れる。

全て、伝えた。
これで、ゾロはきっと先に進める。
今度こそ、自分の存在を消して。

サンジはそう思っていた。決着をつけ、自分を許す事は出来ないだろうが、過去を過去として清算し、前へ進む為にここに来たのだろうと。
元々、強い男だ。どんなに手酷く陵辱しても、本当の意味で壊す事なんて出来なかった。
あくまで壊せたのは、自分との偽りの友情という関係だけ。
結局は、その魂を闇に染める事も出来ない。




「おれは、お前に裏切られたと思った」

沈黙を破ったのは、ゾロだった。
「おれの事好きだったとか、壊してぇだとか、お前の考えてる事は正直よく判らねェ。でもお前もおれの事はイマイチ判ってないよな」
感情をあまり表に出さないゾロが、珍しく何か激しく込み上げるものを、押し殺すように話す。
「確かに、あんな事されたら傷ついたというか、殺してやりたいとすら思った。その上何も聞けないまま逃げ出されて……。でも今聞いて、あン時以上におれが腹立ったのは……」
ふ、と俯くサンジの視界に影が落ちた。視界を上げると、向かいのソファに座っていた筈のゾロが静かに立ち上がり、自分に向かって歩を進めたのが見えた。

「テメェがずっとおれに嘘をついていた事だ」

見下ろすゾロの視線が鋭い。だけど、そこに感情の揺れが見えた。
「こんな事になるまで、テメェは一度だって本音を見せなかったって事だろ? …それが腹立つ。今更だけどな…」
合わせられた瞳を逸らす事も出来ず、サンジはただ揺れる黒い瞳を見上げていた。

「今のお前は「本物」か?」
「え……?」

問われた言葉が理解出来ずもサンジは聞き返す。
「今おれの目の前にいるテメェは、もう何の嘘も無い、「本物」のお前か?」
ずっと自分を騙していたあの頃とは違い、全て本音を見せているのかと。
そういう問いだと理解したサンジは、強く頷く。
もう何も偽るつもりはなかった。

「…それならいい」

鋭い視線が、サンジのその態度に柔らかく緩んだ。その瞬間、小さく覗かせたゾロの笑顔に、サンジの瞳は釘付けになっていた。
もう二度と、この笑顔を見る事など出来ないと思っていたから。

呆然と見惚れていたサンジに、
「おれは必死でお前を捜していた。道場の師匠にも、お前の嘘は全部聞いた。
───お前に会いたかったんだ」
先程の激情を抑えるような姿は潜め、穏やかにゾロが語りかけて来る。
言葉の意味を理解する前に、サンジの身が、温かな腕に包まれた。
抱きしめられている、と気づいた瞬間、反射的に抱き返そうと腕が動いた。
だが、その動きが途中で止まる。
焦がれて仕方なかった存在が、こんなにも近くに在る。
でも、触れてはならない。…許される筈が無い。
それほどに、罪は深い事を知っている。

それなのに。

「…会いに来て良かった」

ゾロの方から距離を縮めて来た。
それが信じられずサンジは身を強張らせる。しかし
「お前が付けた傷は、結局お前じゃないと消せない。…なあ、サンジ」
悔しいけどな、と。小さな呟きと共に。
覗き込むように顔が近づく。その瞳に今は非難の色は無い。
焦がれて、触れたくて仕方なかった存在。

「ゾロ…」

駄目だ、と思った。だけど、止める理性に逆らって感情が迸る。
焦がれるまま、とうとう腕の中の温もりを抱き返す。
離したくない、と主張するかのように強く。

「ごめん、どうしよう、おれ…」
「ああ」
「ゾロが好きだ……」
「…ああ」

小さく頷く動きを、肩口に感じる。そしてまた、サンジの肩に預けられていたゾロの瞳が上げられ、二人の視線が合う。
「おれは、テメェの気持ちとおれの気持ち、両方確認する為に来たんだよな…」
囁くように小さく響くゾロの言葉。
そして一言。


どうやらおれもみたいだ、と。




合わせられていた瞳が近づき、唇が触れた。




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