一本の電話の後、サンジの様子が変わった。

 

明るく、相手構わず無駄口ばかり叩いている彼が、黙したまま語らない。
いつもならば、ゾロの方が黙っていても、纏わりついて喋りかけて来るというのに、思い詰めたような表情で黙り込み、座した居間のソファから動かない。
不審に思ったゾロが、珍しく自分から、何があったのか問いかけても。
「……別に」
それだけを返し、また考え込むような素振りで、目線を外す。

指示どころか、話し掛けすらしないサンジからの仕事の依頼を諦め、仕方なく自分ですべき仕事を考え、家事に従事する事にする。
居間は夕べの、エースという人物の乱入と宴会で、まだ片付いていない。
もくもくと散らかったカップや瓶などを片付けていくが、目の端に映る、サンジの様子がやはり気になる。

何かがあったのは確かなのだが。
きっかけは、先ほどの電話だという事も。

だけど、今日のサンジは、いつものように気軽に語りかける事の出来る雰囲気ではない。
気になりつつも無言で片付けを終わらせ、沈黙に淀む居間から出て、他の部屋も掃除するかと立ちあがった時。



「ゾロ、お前の通ってる道場あるだろ。剣道の」

唐突に、サンジが語りかけてきた。ゾロからしたら、予想もしない話題で。
「いつか話してたよな。その道場に、尊敬する師匠と親友がいるって」
「ああ。…それが?」
無表情で語る彼の真意が読めない。何故突然そんな話題を出すのか。
サンジにとっては、行った事も、見た事すらない場所の筈なのに。剣道に興味があるとも思えないし。
無言で話の先を促すと。

「その道場が潰れるとしたら、お前どうする?」
「───何…?」
「土地を追い出されるとしたら? 他に行くアテあるのか、その師匠とやらは」

ソファから、ゆっくりと視線を合わせ、そう切り出すが。ゾロには話の意味が全く意味が判らず、戸惑う。
「突然何言い出すんだ、テメェ…」
「おれの家ね、やってるの店だけじゃねーんだよ。あの辺の土地もかなり所有してんだよな。前に買いとって、でも使わなくって今は他人に貸してんだけど」
「…それが?」
疑問に、サンジが無表情のまま答えた台詞も、ゾロには理解不能な物だった。
しかし、サンジの言葉に、道場に通う少年や弟子達からの僅かな謝礼金で、生計を立てている師匠の暮らしを考えてみる。
道場とはいえ小さな物で、更にそこを住家として親娘二人で慎ましく暮らしているのだ。
土地を失えば、住む場所もささやかな収入口も失くすという事で、そんな状態に陥れば、財産もロクに無い筈の二人が、大変な苦労をするのは目に見えている。

だが、それが一体サンジに何が関係あるというのか。

「道場のある、あの辺の土地を買い取って、店入ってるビル建てようって話が結構前にあったんだよ。で、多額の金出して交渉して、大分買い占めたんだけどさ、お前の師匠は頑として売らなかったんだよな。それで出店は諦めて、今は土地の貸与で細々と金儲けしてるわけなんだけど」
そんな話も初耳だったゾロは驚く。師匠から、一度も聞いた事はないのは、門下生に心配かけまいとした配慮だったのだろうとは思うが。
「もしかして、またそんな話が出てるのか? あの辺にビル建てるって……」
そう尋ねたゾロに、サンジがゆっくりと視線を向ける。
表情は無く、何を考えているのか読み取る事が出来ない。
「いや。でもおれがもう一度話を出そうと思ってるだけ」
「何……」
「充分な額の買取金にも納得してもらえなかったんでね。ちっと強引にしねーとダメだよな。方法は幾らでもあるけど…」
「何でお前がそんな事……!」
サンジの理不尽な台詞に、声を荒げたが、動じる気配は全く無く
「もうすぐおれが、「バラティエ」の会長になる。おれのやりたい事なら、グループの全員が従うさ。うちのグループ全員を敵に回す事になるぜ、テメェの師匠」
淡々と口から放たれる言葉には、感情の揺れすら伺う事は出来ない。
そんな事を自分に言い出す真意も判らない。

「てめェ、一体何がしたい…? 何故おれにそんな事を言い出す?」

怒りから怒鳴りたいのを必死で押さえ、ゾロが問う。
「何がしたいって? 簡単だ、お前におれの言う事聞かせたいだけだ」
そこで初めて、サンジの無感情だった表情に、笑みが浮かんだ。しかしそれは、暖かさの欠片も無く、むしろ冷酷さすら感じさせる。

「お前がおれの言うなりになれば、助けてやってもいいってコト」

そうはっきり言われ、これは自分に対する脅迫なのだと悟った。
標的は、道場の師匠などではない。

「……何が望みだ?」
「こっち来いよ、教えてやる」

ソファからサンジが立ち上がり、睨み付ける瞳に気圧される気配も無く、女性をエスコートするかのように優しくゾロの手を取る。
しかし、ゾロが振り払おうとすると、それを許さず力が込められる。
そのまま手を引かれ、強引にサンジの自室へと連れ込まれた。
ドア付近で放され、そこでゾロは立ち止まる。
ゾロを置いてサンジは、広い部屋に、不似合いな程シンプルなベッドに腰掛け、姿勢を崩す。
そのまま視線をゾロに向け、言い放った。

「条件は一つ。お前の身体を寄越せ」

言われた意味が判らず、返事を返せないでいると。
「わかんねぇ? おれと寝れば助けてやるってイミなんだけど」
理解した瞬間、時間が止まったかのような錯覚に陥った。
言葉の意味は理解出来ても、感情が未だ受け入れる事が出来ず、趣味の悪い冗談と捉える。
馬鹿な冗談言ってんな、と笑い飛ばそうとしたが、サンジの視線に気圧されて、言葉にならず黙り込んだ。
黙り込むゾロに、サンジは優しげにすら見える穏やかな笑顔を見せるけれど。
瞳はやはり、笑ってはいない。薄気味悪い程に、感情が見えない。
そして、その口から放たれる言葉は、絡みつく棘のある物で。

「服脱いでベッドに来いよ」

睨みつけ問い返し、冗談だろうと言外に響かせるゾロの声にも、否定の言葉を放つ。
それでも、その場から動く事が出来ず、立ち尽くしサンジを睨みつける事しか出来ないでいた。


───同性の、友人として心を許していた人物と寝るなんて、誰が考えつくものか。
少なくとも、今までそんな性癖があるような素振りは全く見せなかったのに。


固まり動けないゾロを、サンジが嘲笑う。
「セックスの経験ねーの? 女抱いた事くらいはねェか? あン時の女と同じように、足開いて寝っ転がってりゃいーんだぜ?」
下品な言い方で、嘲り揶揄う姿が、別人のように思える。
いつもの、明るくて屈託の無い彼からは想像もつかない。
柄の悪い所も捻くれた部分もそれなりにあるが、こんなに冷たい瞳で、こんな事を言い出す人間ではなかった筈だ。
そもそも、こんな事態を引き起こすような気配は、今まで全く無かったのに。
「どうする? おれは別にいいぜ」
まるで別人のような態度に、怒り戸惑うが、
「テメェの師匠がどうなろうと、こっちとしては別に痛くも痒くも無い、し」
そう言ったサンジの表情から、笑みが消えた。
その瞬間、本気だと悟った。言う事を聞かなければ、手段を選ばないだろうと。

何で、突然。
一体、何が彼を、こうまで突然に豹変させたのか。

しかし、問うても相手はきっと答えないだろう。
何が目的か、望みか。
判るのは、今までの友人としての関係を、それなりに心地よかった間柄を、目の前の人間が全て壊そうとしている事だけだ。




ゆっくりと、サンジの前まで進む。
「………他人を思い通りに出来て、楽しいか?」
「ああ。楽しいね」
「軽蔑してやる」
その侮蔑の言葉に、口の端でサンジが笑い、目の前に立つゾロの腕を引く。
「最高だよ、そういうの」
滅茶苦茶にして貶めたくなるな、と。
「一年の時の喧嘩もさ、誰にも遜ったり哀願したりしねえテメェの鼻っ柱、圧し折ってやりてぇって奴ばっかだったな。おれも同類かもな。……ただ」
腕を強く引かれ、中腰の姿勢になったところに、座ったサンジが下から唇を合わせてくる。
触れたその間も、二人とも、目を閉じようとはしなかった。

「おれはアイツらとは違って、お前を言いなりにする事が出来るけど」

唇を僅かに離したものの、そのまま至近距離で囁くサンジを、無言で睨み付ける。
だけど、その身体には抵抗はなく、肩に手をかけ力を込めるサンジの下に、いとも簡単に組み敷かれた。




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