目の前の家は、「家」と評してはいけない気すらする代物だった。
むしろ「お屋敷」とでも呼ばなくてはいけないような、目前の高い門の向こうに見える、敷地の広さと建物の豪華さに、ゾロは唖然としてその場に立ち尽くしていた。



家でバイトしないかと誘われた時は、てっきりサンジの一族で経営するレストランか何かでバイトするのかと思ったのだが、そう聞いたら
「レストランのひとつひとつをうちで運営してるのとはちょっと違うからなあ。各支店に店長がいて、バイトを雇うとか、細かい事は店長に任せてるから。うちは大まかに管理してるだけ」
そう言われた。
どうやらバイトというのは、店ではなくサンジ個人の依頼らしく、家で今まで雇っていた使用人に辞められてしまい、家事などの人手が足りないから頼みたいとの事らしい。
「……使用人……」
自分にはとことん縁の無い言葉だったゾロは、何をするのかサッパリ判らず、問うてみたところ、家の簡単な掃除やら何やらぐらいで、そんなに難しい事をするわけでもないようだった。
料理などの、ゾロがまともに経験した事の無い難しいと思われる物は、やる必要は無いとの事だったし。
それで、まあいいかやってみるかという気になったのだが。

…確かにこのデカさの家じゃ、掃除などをするにしてもいちいち大変だろう。

そう思いつつ、屋敷を呆然と見上げていると。
「おい、何そんな所で棒みたく立ってんだ?」
豪奢で重そうな扉が開き、中からサンジが顔を出した。
防犯カメラの映像で、早くからゾロが門の前にいる事は気付いていたのだが、幾ら待っていてもチャイムを鳴らす様子が伺えないので、痺れを切らして自分から迎えに来てしまったのだ。
「遠慮してねーで入れよ。うち、他に誰もいねェんだから」
そう言って、入るよう促す。柄にも無く戸惑った様子を見せながらおずおずとゾロが扉を潜るのを、サンジは笑って出迎える。
「そうかしこまってんなよ。ここ、ほんと誰もいないんだから。おれ一人暮しだし」
「……一人暮し?」
この広大な家で?
驚き、自分を凝視するゾロに、サンジは「あれ、言ってなかったっけ」と軽く答える。
「ここ、本宅じゃねーんだよな。別宅の一つ。本宅の方だと、半分しか血の繋がりのない兄弟とか居たり、両親死んでるから親族が入り込んでたりして、色々メンドクサイからさ、飛び出してここに勝手に住ませてもらってるわけ」
そのような話のどれもこれも、ゾロにとっては初耳だった。
「言ってなかったっけ」などとサンジは言うが、敢えて今まで言わなかったのだろう。
彼は、とにかく喋り好きでよく他人と話すが、いらんことまで口から出す割に、実は自分の事をあまり話さない。
そういう所を何となく感じていたからこそ、ゾロもあまり詮索はしなかった。
元々ゾロの方は、他人とべらべら会話出来る性格ではなかったし。
そういや、結構共に出歩いていたが、家に招かれる事すら初めてなのだ。
サンジとは一年以上の付き合いがあるが、知ってるようで実は相手の事をあまり知らない事実に、今更気付く。

サンジに促されるまま、屋敷の廊下を進みつつ、ゾロはこの異空間のような屋敷の中で、初めてサンジに対し、違和感のような物を感じていた。
やはり、自分とは違う世界に住んでいる人間なのでは、と。


 


招かれた居間のソファに座っていたところ、サンジが盆に紅茶を乗せて持って来た。
「………うまい」
一口紅茶を啜り、紅茶の味などはほとんど判らないゾロにも、その芳醇な香りや味は、一級品だという事が感じられた。舌にも柔らかく味が乗る。
思わず呟くと、サンジが嬉しそうに破顔し、自分が淹れたものだと言う。
茶請けに出されたスコーンも、サンジの手作りらしかった。これも、甘い物が苦手なゾロに合わせて作られているのか、甘味が少ないプレーンの物で、味覚に合う。幾らでも食べられそうなくらい、美味いと思う。
「料理研究部部員としては、やはりおやつも手作りしねーとなー」
そのサンジの台詞に、そういやそうだったと思い出す。
サンジはサッカー部や陸上部などの執拗な誘いを蹴り、男子校である学園内ではとことんマイナーで弱小部の、ゾロにとっては謎のそんな部に入っていたのだった。あまりに弱小で部員も少ない為、活動は活発ではないようだったが。

「で、バイトの件なんだけど」
と、何やら書類を提示される。
見てみると、契約内容が結構こまごまと書いてあるようだった。
「一応、おれが雇うっていうより、うちの家の従属者つか家事使用人として、きちんと雇用するって事になるからな。保険とかも効くぜ」
渡された書類に、ゾロがざっと目を通すが、日給に関しての部分で目が思わず止まる。
「これ……高すぎるだろ……」
一介の高校生に払う金額ではない額が、そこには提示されていた。
「そーか? でもウチは基本的に、新人バイトさんにはその給料額で決めちゃってるからなぁ。おれ本人が自腹切って払うわけじゃないし、もらっとけよ」
そう言いながら、ゾロにペンを渡す。
「じゃ、最後のこの欄にサインして」
言われるままにサインし、拇印を押した。
これから一ヶ月の契約が、この瞬間決まった事になる。
「よっし、コレで契約成立。一ヶ月よろしくな」
「ああ」
「お坊ちゃまvって呼んでくれてもいいぜー♪ メイドさんみたく」
「阿呆」

こうして二人は、雇い主と使用人の立場になったが、別に今までと態度や呼び方が変わるわけでもなく、学園生活の延長上と大して変わりはないまま、ゾロのバイトは始まった。





ゾロの仕事というのは、本当に「お手伝いさん」と称する程度のもので、サンジの「これやって」という命令が無ければ、ほとんどやる事は無いも同然だった。
これを機会に大掃除でも久々にするかと言われ、それを二日がかりでやったのが大変だったくらいで。だがそれもサンジと二人で、同じくらいの労働をこなしていたし。
食事の用意は、サンジが料理好きなせいで全てやってしまうし、買物だって、「材料を見たいから」と、サンジが行ってしまう事もしばしばだ。
その間の留守番やら、食事後の皿洗いやら程度では、はっきり言ってほとんど労力を使わない。時間を持て余して掃除やら、庭の草むしりやらをするのだが、この程度であの額をもらっていいのかという気がしてしょうがない。
その上、「賄い」と称して出されるサンジの手料理の数々は、豪華で美味く、これにこっちから金を出すべきなのではと思わせる程だ。
朝、働きに来て、夜帰る頃まで労働らしい労働もせず、「こんなんでいいのか」と自問自答しつつ家路につく事もしばしばだった。

そうして一週間ほど過ぎた頃、とうとうゾロはサンジに、「この程度の仕事じゃあの額はもらえない」と、パイト自体を辞めようと思う事を切り出したのだが。
そこでちょっと困ったようにサンジが
「次の人見つけるの大変だし…。家に入れる人間だからさ、お前くらい気心知れてる奴のが、おれはいいんだけど…」
などと言うものだから、それ以上強く辞めるとは言えなかった。
「じゃ、続けてくれるか?」
という台詞に頷くと、子供のように嬉しそうな表情を見せるサンジに戸惑う。
もしかして、この広大ではあるが、いまいち生活感の無い家に、一人でいる事が淋しい気持ちもあるのかもしれない、いやそんな殊勝な奴かなどと色々ぐるぐる考えてしまう。
どっちにしろ、意外に自分はこの男に弱いらしいという自覚が芽生えつつ、バイトなんだか家にお邪魔しに行ってるんだか判断のつかないまま、あっという間に三週間が過ぎようとしていた。




一日の仕事というか何というかが終わり、契約により決められていた定時になったので、そろそろ帰るかと思っていたところにその客はやって来た。
「よう! 夕メシ食いに来たぞ!」
門の前で、防犯カメラに向かい笑顔でそう叫ぶ、突然の来訪者が一人。
「……誰だ?」
それを確認したゾロがサンジに聞いたところ。うわー来ちまったよなどと呟きながら、サンジが答えた。
「エースっつー男。ポートガス・D・エースこと食欲魔人兄弟(兄)だ」
「は?」
「一応ウチの学校の上級生で、部活の知り合いっつーか…」
「……アイツ、料理部なのか…?」
そうは見えない為、疑わしいといった口調で聞いてみるが。
「いや、うちの部にしょっちゅう乱入してきては、つまみ食いしてくんだよなー。台風みたいな兄弟でさ、すンげー食うんだぜ二人共、細い身体に似合わず」
そんな風に眉を顰めつつも、サンジは扉のロックを解除した。
インターフォン越しに開けた事を伝えると、すぐにその男は迎えを待たず、扉を開け入ってきて、勝手知ったる何とやらといった呈で、居間までやってくる。
「よ、サンジ。あれ、こっちのお兄サンは? 噂のロロノア・ゾロ?」
「あー、そーだよ。で、今日はルフィは?」
「ナミんちに食わせてもらいに行ってるみたいでさ。お邪魔すんのも悪いかと思って、おれはこっちに来た」
「来ねーでくれよ、そんなんで」
話がよく判らないが、自分の名前が出てきた事にゾロは驚く。
噂のって、一体どこでどう噂になってるのやら…。
一見不機嫌そうにしているが、会話の様子からサンジがこの男と、かなり親しい事が伺える。既に料理も出す気でいるようだし。
そう思いながらも、話に割って入る事も出来ず、黙っていたゾロにサンジが声をかける。
「すまねェ、ゾロ。帰る間際にわりーけどさ、ちょっと酒買ってきてくんねーか?」
サンジのその言葉に、エースとやらがニヤリと相好を崩す。
「お、いいねェ宴会か! じゃ、そこのゾロとらやらも一緒に、今日は夜通し飲もうぜ」
「は?」
どーやら、この食欲魔人兄弟の兄とやらは、自分も巻き込んで飲み会を始める気らしい。
酒は別に嫌いではない、いやむしろ大好きだけれど、どう返事していいやら迷っているうちに、サンジまでもが嬉しそうに同意しだす。
「それもいいな。ゾロ、ついでに今日泊まってけば? 男二人だけの宴会もサビシーし」
いや、ある意味男3人の宴会も空しいかーなどと言いつつも、乗り気だ。
明日の仕事どーすんだよと思うが、仕事内容はほぼサンジの気分次第で、どうとなる職ではあるし、サンジがそう言うのなら良いのだろう。
「何でも好きな酒買ってきていいからさ。その間におれ、つまみ作っておくよ」
そう言って財布を渡され、ゾロはとりあえず近所のコンビニに向かい、屋敷を出た。




「で? アイツなわけ、お前が狙ってるのって」
とりあえず簡単に一品作り、居間へと運んで来たサンジに、エースが問いかける。
「下世話な言い方しねーでくれよ」
眉を潜めるサンジに構わず、つまみに手を出しながら続ける。
「でも、手に入れるつもりだろうが?」
「ああ」
「お前の事、友人として信頼してるみてーなのになァ」
「……わざわざ、ンなつまんねェ事言いに来たのか?」
「いーや。ただ、カワイソウだと思って」
「おれもそう思うよ」
そのサンジの、無感情にも聞こえる声音で響いた返答に、エースは笑う。
そしてこう続けた。

「アイツじゃない。お前の事だよ、サンジ」

「……………」
「ま、後悔はしねェようにな」
そう忠告されても、無駄な事だとサンジは思う。
どうしたって、どの道を選んだって、確実に悔いは残る。それでも、自分が選択肢を、一つ選ばなくてはならない。
無言で再びキッチンへと調理に向かおうと、居間の扉を開け出て行きかけた背に、エースの笑いを含んだ声がかけられる。
「だーから、素直におれにしとけばいいのに」
「何言ってやがんだか……。自分の弟と禁断のカンケイやってる人間が。本命いンのに他人ナンパしてんじゃねーよ」
「ああ、ま、おれお前みたいなのも好きなんだぜ。それに、おれのその「禁断」とやらを知ったからこそ、お前だって自分の心の内話す気になったんだろ?」
確かにその通りだった。同類というのとはまた違うが。
背の向こうで明るく語りかける相手の心に、闇の部分は無い。
そして、他人の闇を否定する事も無い。何も否定も肯定もせず、自然なままで自信に満ちている。
自分とは違う。

小さく溜息をついて、サンジは居間の扉を閉めた。

 



ゾロのバイト終了まで、もう一週間も無い時期の夜だった。



続く。
私、使用人の仕事やった事なくて(笑)、ほとんど
仕事内容わかんないまま書いたんだけど…
使用人って普通泊り込みなのかな? これじゃ家政婦さん?^^;
エース初めて書いた。本当はギンにしようかと思ってたんだけど
上級生が「サンジさん」って呼ぶの変なんで…;

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