画面の中に映っていたのは、薄暗い部屋の中で抱き合う男女。

男の方は上半身裸で、女の腰の辺りを淫らな手つきで撫でている。
男の胸に埋めた女の顔は判らないが、薄い緋色のキャミソールドレスと、男の背に回した指先の、紅い爪先が、妖艶な雰囲気を纏わせている。
それを若干遠目のアングルで映し出していた画面が、数秒後には切り替わり、女の首筋に唇を当てた男のアップになる。
軽く伏せられた睫毛は、髪の色と同じ柔らかな金色で、深い青の瞳がその下に覗く。
女は後ろ向きのアングルなので、やはり顔は判らないが、白いうなじが艶かしい。
伏せられていた男の瞳が、ゆっくりとカメラの方に向けられる。

定まった青い視線が、何か言いたげに──────

そこで低く流れるナレーション。
「その全てを守りたい…safe sex」





「これは良い出来だわっ。笑いを取れるわっサンジ君!!」

モニターを見ていたナミがころころと笑い転げている。
「ナミさーーん; 笑いを取る目的じゃないですよコレー;;;;」
「だからいいんじゃない。むず痒いというか悶えるというか…」
「一生懸命やったんですよー;;;;;」
そう嘆いた後、ぴしっと背筋を伸ばし「あなたを愛しているのに、仕事の為とはいえ他の女性とラブシーンを演じなくてはならない、この罪作りな存在をお許しください」等と、劇団も真っ青な大仰な身振り手振りで苦悩(?)しているサンジを完全に無視して、ナミはパソコンとにらめっこして何やら作業している、ウソップに語りかけた。
「このCMっていつから放映だっけ?」
「一週間後。そろそろワイドショーとかで「先取り」なんて言いながら放映されるから、覚悟しとけよ」
「そうね。何たって今までに無い大々的な宣伝だもんね。コンドームの」

コンドーム。
言わずと知れたゴム製の避妊具のアレだ。
昨今の若者の性事情により、必要性が低年層まで広まりつつあるそれだが、今までその製品のCMが、おおっぴらにテレビという公共放送の電波に乗った事は無かった。
それが、僅か15秒といえど全国に放映される事になったのだ。
さすがに時間帯は、子供も多くお茶の間でテレビを見ているゴールデンタイムは避けられたが、11時からの深夜枠に、結構大々的に流される事が決定した。
CMスポンサーの言い分としては、製品の宣伝の他に、望まれない妊娠や病気などの無い、性交渉における安全性を訴えるという大儀名分がある。
実際、昨今の状況を考えると、サンジとしてもこーいうのがあってもいいんじゃと思うから、CMの話が来た時に引き受けたのだ。
自他共に認めるフェミニストとしては、女の子の身体の為にも、やはりこの手の製品の知識は、もっとオープンに広まった方がいいと思うし。
ただ、若者はともかく、その親・祖父母世代には受け入れがたい人も多いだろうな、とは思う。
CMが放映されていない現在すら、製作される事を知った、性に関して保守的な考えを持つ人々や、PTAなどから既に苦情が入っているのだ。
「そんなCM流して、子供の目に入ったらどうする」とか、「ますます性に奔放な若者が増えてしまう」とか。
まあそういう考え方も勿論アリで、どっちがどう間違っているというものでも無いとは思うが、そういう考えに対抗するようなCMに出ているのが自分なわけでつまり、攻撃の恐らく矢面に立つ事になるんだろう、とサンジは考える。
CMには、製品のロゴは入るが、実物が映る事はない。それでも、セックスを連想させる内容に、今より更に苦情が増えるのは必至だ。

「悪い意味かもしれねーけど、顔は売れるし。覚悟はしときますよ」
予想の上で引き受けたのだ。道で知らないおじちゃんおばちゃんから石投げられてもキレないようにしなくちゃなー、と今から覚悟していたサンジだった。




そして、全国一斉の放映日。
案の定、というか何というか。
ものすごい反響に、そのコンドームの会社も、放映したテレビ局も、サンジの事務所も電話の嵐で、対応にてんてこまいする羽目になったのだった。
勿論、お母様世代以降の苦情も殺到した。
しかしそれに負けない程、若年層の応援コールまたは「誰あの人! カッコイイ!!」というミーハーな問い合わせも多かったのである。

サンジはそれまで、CMの話が来たのも不思議な程の無名な新人モデルだった。
そんな、幾つかの雑誌にちょこちょこ顔を出す程度の人間が、スポンサーにいきなり、「妖しげな色気がある」とか何とかな理由で大抜擢され、CMが話題沸騰となり、突如全国のお茶の間の有名人さんになってしまったのだった。
道を歩いていると、険のある視線にぶつかる事もままあったが、それよりも
「あ、コンドームの人だ!」
と指差して叫ばれる事の方が断然多くなった。それもまたがっくり脱力しかけてしまうのだが。
今日もまた、事務所に向かう途中での道で、「コンドームのおにーさーん」と、冷やかすように男子高生の集団に声をかけられ、「おうっ、テメェらもガッチリ着けてヤれよ!! 彼女泣かせんなよ!!」と、自棄じみた返答を返してきたばかりだ。

「大人気ね、サンジ君」
事務所の扉をくぐると、ナミが笑いながら語りかけて来た。
彼女は子役の頃から活躍してきた女優で、まだ10代だが演技力と美貌には定評のある女性だ。
ただ、最近は表舞台に立つより、裏で他の芸能人をプロデュースする方が楽しいらしく、仕事をそちらに傾けつつある。
実際、そちらの方面の才能にも長けているようで、事務所の経営が右肩上がりなのも、彼女の力との噂もある。
どうやらサンジのCM出演にも一役かっていたらしい。
その横でわたわたと書類を纏めているのは、長っ鼻…もとい、ウソップ。
この事務所を経営していた両親が亡くなり、色々あった末に、まだ少女の身で事務所を引き継ぐ事となったカヤという女の子を手助けする為、ここで働いている少年である。
弱小事務所とはいえ、他にも働いてる人間は何十人といる。芸能人も、黙っていれば可愛いのに性格天然系破天荒、しかしなぜかそんな所が大人気のアイドル、モンキー・D・ルフィなど、数名所属している。

が、しかし。

「足りないのよねー、もう少し人材が欲しいわ…」
特にウチは女の子が少ないの!と不満げに言うナミは、既に己が看板女優だという意識は無いらしい。
「ねえサンジ君、バラエティやグラビアもこなす、可愛いアイドル系な女の子が欲しいの。そういう子いない?」
思わず「ナミさんvv」と答えかけた先手を打ち、「勿論デビューしてない子でね」と。
「サンジ君は女の子なら誰でもいいように見えて、実は結構可愛い子見つけるの得意よね。見かけたらでいいから、スカウトしてきてくれない?」
にっこりと心の女神さまに言われ、思わず目をハートマークにしながら「ハイvvv」と頷いていたサンジであった。





さてそれからのサンジは、ご主人様の言いつけを守る犬よろしく、街中でも今まで以上に女の子を目で追う、下手するとある意味危険人物となっていた。
元々女の子が大好きで、ナンパもかかさない男であるが、更にスカウト目的も加わって、サングラスの下では眼光鋭く目じりを下げ(器用な事である)、道行く女の子を眺める日々が続いていた。
勿論サンジも今や、脚光を浴びる有名人なので、女の子から見つめられ、声をかけられる事も多かったが─────。

そんなある日。
ふらふらとラジオの仕事の帰りに、渋谷の街を歩いていた時の事。
帽子を目深に被り、黄色いサングラスをかけたサンジは、その日は誰にも気づかれる事の無いまま、道玄坂をてくてく歩いていた。
賑やかな通りは、一歩横に反れると、また別の意味で華やかなラブホテルが立ち並ぶ場所なのは、よく知られている。サンジも高校時代、渋谷周辺でよく遊んでいて、それらの建物に結構お世話になったものである。
懐かしいなーなどと、若かりし頃の乱れた過去を、そんな遠い昔の話でもないのに遠く思い返しながら、てくてくてくてく歩いていたサンジであったが。
道行く先から、ふとキザったらしい服装の男が歩いてくるに気づき、眉を顰めた。
フルボディという、TVドラマ制作ではそこそこ腕の知られているプロデューサーが、派手な女性と連れ立って、坂を下りて来る。
サンジは一度、彼とモメた事があり、正直干されかけた事があるのだ。
その時は、ナミがうまく立ち回ってくれて、事なきを得たのだが、顔を見ると未だに腹が立って仕方ない。
「クソ…」
このまますれ違い、万が一気づかれて嫌味な言葉なんかかけられたりしたら…というか顔をこうして見ているだけで、つい蹴りが出てしまいそーだ。
しかしナミにもう迷惑をかける訳にもいかない。
君子危うきに近寄らず精神で、サンジは横道に逸れ、出会いを避けた。
逸れたその道は、勿論ラブホ街なのであるが。
「………ひとりでこーゆー道歩くのも悲しいモンだなァ……」
次は絶対ナミさんと……などと妄想しつつ、小道を進んで行く。このままラブホ街をつっきろうと歩を進めていた。
そこへ。


「ふざけんなー!!!!!!!!」


「……は?」
近くから、男の絶叫が聞こえてきて、思わず目をぱちくりさせて立ち止まる。
声のした方を振り向くと。
「…………何だありゃ」
男二人が、派手なネオンのラブホのまん前で、何やらもめている。
中年らしき、金がかかっていそうではあるが、趣味の悪いスーツを着た男と、高校生くらいかと思われる、緑の髪ときつい瞳が印象的な少年と。
「………ホモの痴話喧嘩か???」
サンジの目には、少年をホテルに連れ込みたい親父と、それに抵抗するマリモ学生に見えたのだが。
とりあえず、マリモが嫌がっているのは確かなようだ。
「うーん…これが女の子なら助けるところなんだが……」
男だし、どーしよっかなと迷っているうちに。
「離せって言ってるだろうがーーーー!!!!!!!!!!!!!!」
「ぐはぁッ!!!」

親父の顎に、見事なアッパーが決まっていた。
それは思わずゴングを鳴らしながら少年の腕を取って、「ウィナー、マリモヘッド!!」などと叫びたいくらい見事なKO勝ちであった。
が、しかし。
は、と我に返ったような表情をしたマリモが、小さく「しまった…」と呟き、若干思案に暮れるように立ち尽くした後、舌打ちしてその場を離れた。

何なんだろあいつ?
何だかよくわからねーけど、ちょっと面白いかも。

何故かは判らない。が、その少年に興味を引かれ、サンジはその後について歩き出した。
マリモは、道玄坂へと出て、きょろきょろと周りを見渡した後、坂を上り始める。
そのかなりスピードのある歩みも苦にする事なく、サンジも気づかれないようにその少し後ろをついてゆく。
どんどん上り、通りに渋谷特有の店の雰囲気や、若者の姿ほとんどが無くなったあたりで、ぴたりと前を歩いていたマリモが止まった。
後ろで同じように立ち止まるのも不自然かなと思い、迷いつつも、自然を装い歩き、近づいていったサンジに、そのマリモが視線を向けてきた。
そして、
「おい、……すまねェが」
声がかけられる。
不機嫌そうな、それでいて少し照れたような表情で、ぶっきらぼうな声音で。
「……何だよ」
何気なく返事しつつも、何故かドキリと心臓が脈打った。
自分に一体、何を語りかけるのか。
つけていたのがバレたのか?
柄にもなく緊張し、手のひらが汗ばむのすら感じたその時。



「…………駅って、どっちだ?」



「…………………………………」



坂、下りるんだよ………
と、正反対の道を指したサンジとマリモの間に、沈黙が流れた。




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