仮住まいとして、ゾロがこの屋敷に滞在し始めて、二週間が過ぎようとしていた。
最初は圧倒されたその広さや重厚な様子にも、いつしか大分慣れてきた。


ゾロが勤め先から戻ると、サンジはいつも家にいて、出迎えてくれた。「おかえり」という言葉と共に。
そう声をかけられると気恥ずかしいのだが、嬉しいものだということも知った。
必死で照れを隠し、小さな声でただいまと返すと、相手は嬉しそうな表情を見せる。それがまた気恥ずかしい。
サンジは自分からすると対照的な性格をしていたが、何故か共に暮らしても違和感は無かった。むしろ、いつしか「いない」という状況を考えられなくなるほどに、調和の一部と化していた。
それは、どうやらサンジも同じようで、事あるごとに「ゾロがいて良かった」と笑う。
サンジは、驚くぐらいこの家について詳しかった。
随分長いこと祖父と共に住んでいたのかと尋ねると、「まあね」とだけ答える。
よく喋る男なのに、こと自分については相変わらずあまり語らない。
テレビをつけては、どの女優がいいだのどのアイドルが好きだの、どうでもいいことはうるさいぐらいに喋り続ける癖に、相変わらず自分については語らない。
共に暮らす二人はもう、大分打ち解けていたのに、サンジのそれだけは変わらない。
内心不満に思うものの、それをどう言葉や態度に現していいか判らず、黙り込む。
そんなゾロも大概不器用な男だった。




「今日の飯はなー採りたて野菜盛りだくさん!」
そのサンジの言葉通り、彩り鮮やかな野菜中心の料理が盛られた皿を手渡され、食卓へとゾロは運ぶ。
食事の支度はサンジの役目だった。押し付けたわけではなく、サンジがそう希望したのだ。
本人が言い出すだけあり、彼は料理の腕は確かだった。
毎日用意される食事はとても美味で、グルメからはほど遠いゾロですら、これは大した腕前だというのが判る。
「コックにでもなりゃいいのに」
そうサンジに言った事がある。褒め言葉と同義語のそれに、サンジは喜びつつも、「おれはお前が食べてくれればそれで嬉しいよ」と首を振る。
得体の知れない部分もあるし、上品気な顔立ちには似合わない口の悪さも見せる。しかし、このサンジという男は根はいい奴だと思う。
共に住む内に、ゾロはそう思うようになっていた。
二人の家で、食事が始まる。
そう、ここは「我が家」だという感覚が強くなりつつあった。

思えば、一人暮らしをする時に借りたアパートは、値段と職場からの距離だけで決め、家を選ぶという感覚は薄かった。正直なところ、寝る場所すらあればいいのだという意識しかなかった気がする。
それに比べると、ここは自分には不似合いな広さだという自覚はあるのだが、何故か日を追うごとに温かみを感じてきている。
そう思う原因の一角は、今こうして傍にいるサンジなのも確かなのだろう。
視線をちらりと向けると、向かいに座っていたサンジは、自分が食事している様子を嬉しげに見つめていた。
その視線に、何故か頬が熱くなる。
誤魔化すように、ゾロは口内で噛んでいた惣菜をごくりと飲み込み、サンジへと尋ねた。
「取れたてって、ここの庭で採れた野菜か?」
この家の広い庭の片隅には、家庭菜園がある。そこで、幾種類かの野菜をサンジが栽培していたのを知っていた。
「そうそう、うまいだろ?」
よくぞ当てました、と嬉しげに胸を張り言うサンジの様子が少し子供じみてて、ゾロはつい小さく笑ってしまった。




外は夕闇に包まれ始めている。間も無く完全に日は沈むだろう。
そんな空を見上げつつ、食事を終えたゾロは庭へ出た。
広い庭園は、橙色の陽光に照らされ、その景観を鮮やかに彩っている。そんな中をゾロは歩き、やがて庭の端へと辿り着いた。
サンジと先程話していた、小さめの菜園があるその場所。立てられた柵には、さやえんどうの弦が巻きつき、緑の豆が多数成っていた。
あの優男風のサンジが、ここで植物の手入れをまめにしている姿を考えると、ほほえましさと少しのおかしさを感じて、口元に笑みが浮かぶ。
ここへ来てから、笑う機会が増えたなと自分でも自覚がある。
原因は、全てあの金の髪の男なのだろう。
そう思いつつ、視線を移動させた時。

「……?」

菜園より更に奥、塀の間際に何かがあるのをゾロは見つけた。
植物に隠れて見えづらい場所なので、屈んで葉を避けて、それが何なのか確認する。
そこにあったのは小さな祠だった。

「…何だこれ?」
「ここの氏神の祠だよ」
「うわッ」

突然背後から声をかけられたゾロは驚き、つい大声をあげてしまった。
「サンジ?」
振り向くと、そこには先程まで共に食事を取っていた同居人が立っていた。
剣道をしている経験から、気配には聡い自信はあったのに、全く気づかなかった。
脅かすなと非難すると、「ごめん」と軽く肩を竦め謝ってくる。それ以上咎めるのも何なので、ゾロは話題を変えた。
「うじがみって…何かの神サマか?」
「そう、その土地や、そこに建つ家を守護するカミサマ」
「ふーん…そんなのがある家初めて見たな。さすがお屋敷っつーか…」
「まあ、古い家だからな」
サンジの言葉に、祠へと再び目をやる。
暫く放っておかれたのか、雨風に曝されて随分汚れてしまっている。
「…おれは宗教とか興味ねぇが、神サマをほったらかしにしたら、バチ当たんじゃねーの」
そう言いつつ、祠の屋根に幾枚か積もっていた枯葉や、土埃を手で払う。
「後で酒でも供えといてやれよ」
少しだが汚れが落ち綺麗になった祠から、サンジへと視線を移し、提案する。
確か、この家の台所には日本酒があった筈だ。こっそりとサンジに内緒で頂戴したこともある。
「お前にとったら、じーさんの大切な家の守り神なんだからな、大事にした方がいいだろ」
「……まあ、そうだな」
ゾロの言葉に、曖昧な返事を返し、唇の端を少し上げ笑う。
複雑そうなその様子が何となく気になったが、それ以上話は続けず、そろそろ家へ戻るかとゾロは踵を返した。
陽の光は随分陰り、もう当たりは薄闇に包まれている。
視線の先には、僅かに残す光を浴びながらも、そのせいで更に強くなった影を地面へと落とす屋敷が見える。
主がおらず、そして今は中に誰もいないその家が、何故か淋しげに見えた。

自分が祖父の遺言を放棄すれば、この家は無くなる。
今こうして見えている風景も、全て消えて無くなるのだ。
そして。
隣にいる男──扉を開ければ、「おかえり」と笑顔を見せてくれるサンジも、離れていくのだろう。
そうしたら、またあのアパートに戻ればいいだけなのに。
あの、殺風景な一人きりの空間に。
「……………」
想像したら、胸が苦しくなった。
原因は、もう判っている。

今まで知らなかった「孤独」。
サンジが傍にいつづけたせいで、失った時訪れるだろうそれを知ってしまった。



「……手続きしなきゃならねェんだよな、面倒だけど」
「え?」
「相続の。この家、おれの名義になるんだろ?」
その言葉に瞠目したサンジが、次の瞬間笑顔を見せる。
「……ゾロ…!」
「うわ!?」
突如、強い力で抱き締められた。
驚いたゾロは身を捻ったが、あくまで反射的な行動で、意思を持って振り払おうとしたわけではなく、サンジの腕はその程度の抵抗では離れなかった。
自分の肩口にあるサンジの顔に目をやると、嬉しげなのにどこか泣きそうな表情を浮かべている。
そんな様子を見たら、振り払えなくなってしまい、ゾロは硬直したまま立ち尽くしていた。
そこへ。
「ありがとう、な」
「……何でてめェが礼言うんだ…」
サンジの言動を不思議に思い、抱き締められつつゾロは小さく首を傾げ問う。
するとサンジは、ゾロの肩に埋めていた顔を上げ、至近距離から見つめてきた。
正面から、二人の視線が絡まる。
あまりに近くで見るサンジの青い眼に、何故か気恥ずかしさを感じ、つい瞳を閉じてしまった。
「……ッ、ん…!?」
それを待っていたかのように、自分を抱き締めるサンジの腕に更に力が込められ、唇を塞がれる。
柔らかく、どこか官能的な感触。
ゾロに経験はなかったが、目を開けなくても、サンジに接吻けられているのだと判った。
「ぅ……」
振り払わなくては、と思うのに。
硬直したまま動けずにいると、閉じていた唇をサンジのの舌でゆるりとなぞられる。
擽ったさに、僅かに唇を開いた瞬間に、口内に相手の舌の侵入を許してしまった。
呼吸がうまく出来ず、息が上がる。
その時。

「……!?」

ゾロの閉じた瞳の奥に、見知らぬ映像が映る。
脳裏に、嵐の日の波ように激しく流れ込むその残像に混乱し、ゾロは思わずもがいた。

見た事のない情景が、次々と。
───いや、映像は全てこの家が舞台となっている。
そこに住んでいるらしき、見知らぬ人々。
現代ではまず見かけない、レトロな服を着た男、女、子供、老人───幾人もの姿が浮かび、消えていく。
教科書で見たことのあるような軍服を纏う男の姿や、着物の女性。たくさんの人々が、この家で過ごす様子が、まるで早送り映像のように脳内に流れ込んでくる。
そして、初めて知った顔が出てきた。

写真で見た、祖父の姿────…




「…く、ッ……!」

漸く唇が離され、サンジの腕から解放される。
その瞬間、走馬灯のように頭に巡っていた映像が消えた。
「い…まのは…」
こめかみを押さえ、ゾロはふらつきそうになる足に力を込めた。見せられた映像という情報を処理し切れなかった脳が、疲弊しているのを感じる。
流れ込んできたのは、記憶にない情景ばかりだった。
その情景から察する事が出来たのは、あれは恐らく、この家の過去の住人達の日常風景だという事。
…たった一人でこの家に住み、孤独の表情を浮かべる祖父も、見えた。

「お前……何者だ…?」
目の前に立つサンジを睨みつけ、未だ弾んでいる吐息の下から、声を絞り出し問う。
触れている時だけ、脳裏に流れた過去の情景。
どこか切なげにゾロに向けられていたサンジの視線が、問われると同時にゆっくりと移動する。
彼の視線を、ゾロも追う。
その視線の先には、先程の祠があった。

まさか。

その時、ゾロが思い浮かべたのは、あまりに荒唐無稽な想像だった。
ありえないと思い、その想像を口にはせず黙り込んでいると。

「……ずーっとここに棲んでた。じーさんもいなくなって、ここにはとうとう誰もいなくなって、さすがにもう限界かと思ったけど………お前がここに住んでくれるなら」

────荒唐無稽だと思っていた、想像。
しかしサンジのその台詞は、ゾロの想像を肯定する内容で。
「あの祠……氏神って言ってたな……」
搾り出すように、そう言葉にする。
その土地に建つ家を守護する神、とサンジは先程言っていた。
冗談言うな、と笑い飛ばそうとした。しかし、声にならない。
向けられるゾロの見開かれた視線に、サンジは微笑を返した。

「じーさんなあ、毎日祠に祈ってた。孤独で淋しい心が、こっちにまで伝わってきて…何か、あんまりにも不憫でさ。そして、おれもずっと一人だったから」

遥か昔は、人でないものを認識出来る人間は少ないながらもいた。
しかし、時が移るとそんな人間もいなくなり、祠は忘れられていった。
ゾロの祖父は、忘れ去られた祠を見つけた。
世界から取り残されたようなこの祠に、何を見出したのか。彼は、その祠へと祈る事を、いつしか拠り所としていたようだった。
あまりに孤独な心。そんな彼の祈りは、大きな力を自分にいつしか与えていた。

「人間の実体取れるようになったはいいけどさ、じーさんは鋭くてすぐにおれが人間じゃないってバレちまってなー」
それでも気味悪がりもせず受け入れてくれたんだ、と。嬉しげに話している目の前の男。
呆然と眺めているゾロに、サンジは問いかける。
「お前は? 気味が悪いと思うか?」
その言葉には即座に首を横に振る。考える間でもなかった。
混乱はしている。だからどう言葉を発していいのか判らない。
そんなゾロの状態を判っているのか、サンジは言葉での返事を待たず、話を続ける。
「じーさんの祈りはいつだって、孫のお前に関するものだった。自分のようにだけはならないでくれと。共に生きることの出来る誰かを見つけ、幸せになってくれ、と……おれはずっとその声を聞いていた」
「…!」

写真でしか知らない祖父。
話し声を聞いた事も、その手の温もりも知らない。
以前は、その事に何の感情も湧かなかった。
でも、今は。
それが、とても淋しい事なのだと判った─────

「おれは、じーさんが淋しがってたから、そして自分もそうだったから、共にここで傷舐め合って暮らしてた。そのじーさんの願いだから、お前が幸せになるよう守りたいと思っていた。…だけど、お前に会ってからは、その気持ちが変わった」
正面から語りかけてくる。
今漸く、サンジの本心がその口から語られているのだと、混乱に陥っていたゾロにもそれだけは判る。
それがとても嬉しいと感じる。そんな感情が心にあるのだと、認めざるを得ない。
「お前と一緒に生きたいと思った。実体を持って、お前に近づけて、触れることができるのが嬉しいと思った」
「…………」
一度は解放された身体が、再びそっと抱き締められる。
人間ではないというが、確かに体温がある。
密着した部分から、確かにそれを感じる。

「おれは、お前が何者なのかは、正直よく判らない。お前の孤独とやらも、朧げにしか……でも」
呟くように、小さく口から零れるゾロの言葉を、サンジは抱き締めた耳元で聞いていた。
「…この家が、ここにずっとあってほしいと思う。そしてこの家に、お前がいると安心する」


帰る家は確かにここにあり、迎えてくれる相手がいる。
それが、確かに嬉しいと思えたのだ。
今、目の前にいる相手が、たとえ何者であろうとも。



共に、生きたいと。
それだけ伝え、瞳を閉じた。


ファンタジー話やるつもりで何だか玉砕。
同人誌で出すつもりでしたが、これも玉砕;
サンジもののけパラレル話好きだな自分…
もののけサンジ君は、料理も車の運転もふつーに
出来るようだし、人間のふりしてふつーにゾロと
これから幸せに暮らしていきそーですハイ。


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