困った癖がついた。 サンジの事が気になって視線を向けてしまう。 目が合う回数が増えた。 一日に何度も何度も。 慌てて逸らされるアイツの瞳が、不審の光を点すようになるまで、そう時間はかからなかった。 「おれの顔、変?」 ある日唐突に、そう言いながら傍に寄ってきた。 ああこの距離なら、『聞こえる』な……。 「お前の顔? ああ確かに変な眉毛だな。髭も中途半端で変だ」 「うるせェよ; そーゆー事じゃなくて……」 ああ判ってるよ言いたい事は。次お前が何言うかも。全部。 「最近しょっちゅう俺の事見てない? 何、ナニか言いたい事でもあんの?」 「別に」 会話が途切れる。その分、心の声がよく聞こえる。 『やっぱ気のせい?』 『気づかれたかと思った…』 自分の想いを気づかれたかと。 心配、そして若干の期待、不安、安堵、不審、様々な感情。 複雑な心理状況が、横に座り込んだサンジから伝わってくる。 『ゾロがおれを気にしてるかもなんて、自惚れてたかな』 …自惚れじゃないぞ、気にしてるという点では。 心を覗くなんて卑怯だと思いつつ、ここ数日、こいつの内心が気になって仕様がなかった。 近くに、『聞こえる』距離に入りたいと思う衝動を、何度押さえたか。 コイツに言われて、皆と共に飯食うようになったが、その最中も、気づくとコイツの内心の声に耳を傾けている。 無意識に、サンジの『声』を拾おうとしている自分に気付く。 最悪、だ──────。 他人に抱かれる恋愛感情には慣れていない。はっきり言って、誰かに本当の恋愛感情を抱いた事も実は無い。 そんな事より優先させたい事が山程あったから。 だから、向けられる想いをどうしていいか判らない。判らないまま気にしてしまう。 …初めての経験だから。 こんなのがこれからずっと続くのだろうか。 サンジはおれに伝えるつもりがない。 おれにはどうする事も出来ない。 変化は無い。 今まで通りだ。 だけどそれは中途半端なバランスで。表面上の繕いでしかない。 おれが知ってしまった事で、微妙に均衡が崩れている。 溜息が出そうだ……。 皆で宴会状態になった、ある日の甲板。 俺は寝たふりをして、少し距離を置いた。誰の心も読む事がないように。 「ゾロがお酒あんまり飲まないで寝るなんて珍しいわね」 ナミの声が聞こえる。この距離は、心の声は聞こえないけれど、普通の話し声は聞こえてくる程度の物だ。 しばらく寝たふりで、聞くともなく会話を流し聞きしていたら、皆の話題が恋愛経験話になった。 きっかけは、ウソップの村での戦いの話題から、カヤの話に及んだ事だったと思う。 「この長っパナに恋人が!? 嘘だろー!!」 カヤを知らないサンジの絶叫に 「ば、馬鹿、恋人なんて程の物じゃ……第一カヤはお嬢さまだし…」 「あらそんなの関係ないでしょ。好きなら。 あのお嬢さま、あんたの事好きみたいじゃない。多分ずっと待ってるわよ」 「そ、そんなこと……」 困ったようなウソップの声。どうやら真っ赤になってるらしく、周りに揶揄われている。 「おれ恋人いた事ないぞ!」 「はいはい、あんたはそーでしょうねー」 ルフィの言葉を適当にあしらうナミ。 「サンジ君は色々過去ありそうよね」 「まあ、ラブコックの名は一応伊達じゃないですが。でも今はナミさん一筋ですよvv」 …嘘八百だな。てめぇ。 何がナミ一筋だ。おれの事好きなくせに。 「あらそ。ありがと」 全然本気にしてないナミの声。 「でも過去には…やっぱいろんな経験しましたよ。本気で好きになって苦しい思いもしましたし」 ─────初耳だぞ。 「おれって本当は不器用なんですかね。自分の想い押しつけるばかりで、結局その女性を苦しめて、傷つけて、そんで別れました」 酒かなり入ってるんじゃねーか、アイツ…。いつもの軽いノリじゃねーぞ……。 「聞いてもいいのかしら? そういう事は、私達」 「過去の事ですから。今じゃ思い出話ですよ」 ラブコック形無しですねーと笑う声。でも少し痛い。 心は、見えない筈なのに、痛みが伝わるようで。 「だから、今度は相手を傷つけないように好きになりたいですね」 いつになく真面目なトーンの声に、一瞬静まる甲板。 「サ、サンジ…。まあ過去には色々あらぁな。大変だったんだなお前も」 「あ、ウソップ。てめー居たのか。ナミさんと二人きりで語らってたつもりになってた」 「お前なあ……;」 「過去の傷をかいま見せる男に、思わずよろめくナミさんって筋書きだったんだけどなー」 ちぇと舌打ちする音。 「ったく。てめぇはやっぱりラブコックだな。気をつけろよナミ」 「えーえ。判ってるわよ。サンジ君、本気を冗談めかせるの悪いクセよ」 じゃそろそろお開きにしましょうかというナミの声と共に、瓶などを片付けるような音が続く。 「ナミさん、構いませんよ。おれがここ片付けときますから」 「そーお。じゃお願いするわ。ウソップはルフィを部屋まで運んでくれる?」 …ルフィは何時の間にか眠り込んでいたらしい。どうりで途中から声が聞こえなかったはずだ。 まあそりゃ、ルフィには退屈な話題だったろうな…。 おれだって、こんな事にならなきゃどうでもいい、興味も無い話題だ。 だけど。 初めて聞いた過去。 過去の女。本気だったって言ってた。苦しかったと。 何でだろう。 こっちまで苦しいような、変な気がしたのは。 サンジ以外皆引き上げた甲板で。 一人で黙々と瓶やら何やらを片付ける音。しばらくそれが続いていたが。 ぱたっと突然それが止む。 しばらく波の音だけで、それ以外何も聞こえなかったが。 ふいに、サンジが動いた。 近づいてくる気配。 二人きりというのを、突然意識してしまう。悟られないよう、寝たふりを続けていたが。 近づく足音。そしておれの「聞こえる」範囲へと入る。 気にしてしまう自分の心が忌々しい。 『ゾロ』 ああ、何だよ。 何考えてんだよ。 『ほんとは好きなんだよ。知らないだろお前』 知ってるよ。 『言わないのも苦しい。でも言ったらきっともっと苦しくなる』 ───お前の中にも迷いがあるんだな。 『もう誰かを傷つけるような、愛し方はしないって決めた』 臆病者って言うんだ、そういうのは。大馬鹿野郎。 『でもやっぱ苦しいな…』 ほらみろ。 何もしないで何も言わないで、それで充分痛い思いしてるくせに。 おれが知らないとでも思ってるのか。 …こんな能力持たなかったら、一生知らなかったろうけど。そしたらお前一人でずっと辛いままだったんだ。 今は────二人で辛い。テメェは知らないだろうけど、おれまで巻き込んでんだ。 近づく足音。すぐ傍で、あまりにも近くで止まる。 無言のまま。本来静寂の、波音が響くだけの筈のこの場所。 だけど、声が聞こえる。 こいつが何を考えているか。何をするか。 判ってて、それでも目を開ける事が出来ない。 閉じた瞼の裏の視界が、真っ暗な筈のそれが、更に闇の深さを濃くする。 屈みこんだサンジの影に入ったせいで。 空気が震えたように、吐息を近くに感じて、次の瞬間、唇に何かが触れた。 『聞こえて』いたから、予測はついていた。 だけどやはり鼓動が跳ね上がる。 一瞬少しだけ震えた身体。 だが同じように緊張し、動悸に翻弄され混乱したサンジには、バレる事はなかった。 |
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