今、ここにいるお前が選べ


サンジはそう言った。
記憶が戻った時、どれだけサンジを裏切っていたかを自覚した。
どれだけ、辛い思いをさせたのかも。
だから、もうサンジの手を取る資格は無いと思った。
だが彼は、全てを清算し、もう一度選べという。
これからの未来を。

────共に生きるか、別に生きるか。





橙の光が窓から射す、夕暮れ時。
通う高校から帰ってきたくいなは、時計を見て慌てた。
「もうこんな時間? ごめんなさい、今すぐごはん作るね」
居間にいる父へと声をかけながら、台所へ向かう。
手には、帰りがけの店で購入してきた食材。これで煮物を作ろうと思っていた。
母親が亡くなった後、家事もこなしていた彼女の、得意な料理の一つだ。

そういやこれ、あいつも好きなんだよね…。

ふと、そう考え、呟いた。
「アイツも久々に呼ぼうかな? 一人暮らしで、ろくな物食べてないみたいだし」
「あいつって?」
その独り言は、隣の居間にいる父親の耳にも聞こえたようで、問いかけてきた。父には誰の事か判らないようだ。
「やだパパ、何言ってるの。誰って、決まってるじゃない」
思わずくいなは笑う。最近は昔ほど頻繁にではないが、この家に呼んで共に食事をする人間など、「あいつ」の他にいないのに。
父も彼をとても気に入っていて、剣の稽古が終わった後は度々家へ招いていたのに。
「アイツって言ったら………」
そこで名前を続けて言おうと思っていた、くいなの言葉が止まった。

「………あ………」

名が、出てこない。
そんな筈はないのに。
共に剣を競い合い、学校で学んで、育ってきた幼馴染み。
なのに、名も姿も思い起こせないなんて。
「誰………?」
それどころか、思い出そうとすればする程、相手の輪郭がぼやけて消えていくような感覚が襲い、戸惑う。
「何で……」
「くいな?」
記憶が、ある筈のそれが、どんどん霞んでゆく感覚。
何かが、消えてしまう。
「どうしたんだい、くいな?」
急に様子がおかしくなった彼女に、父親が心配そうに近づき声をかける。
判らない、というように首を振り、戸惑いから逃れるように、くいなは父親の腕に縋りついた。

何が何だか判らない。
でも確かに、自分は何かを失った気がする。傍に在るのが、当たり前だった「誰か」。
それが誰なのかを、彼女は思い出せはしなかったけれど─────






その地は、桜の大群に埋め尽くされていた。
満開のそれらが、ざわりと風に靡き、花弁が大量に宙を舞う。
あまりに幻想的な風景は、ゾロの過去の記憶のまま変わりなくそこに在る。
サンジと出逢った、あの時の。
今見ても、この世のものとは思えない。素直にサンジにそう伝えると、「普通の地とは違うからな。おれみたいなのが生まれたぐらいだし」と笑う。
桜の妖力に満ちている地だと、言っていた。
きっと、日々発展している現代から切り離されたように、ひっそりと何千年もここにこうして存在しているのだろう。
閉ざされた世界に。

また、戻って来た。
遠い昔の、約束を果たしに。

「良かったのか?」
一本の桜の根元に座り、懐かしく感じる風景を眺めていたゾロに、少し不安げな声がかけられた。
「何が?」
「皆からお前の記憶消しちまって……」
「………」
ここへ来る時に、サンジに頼んだのがそれだった。
自分を知る人達の記憶から、自分に関する全てを消去してくれと。
ゾロの記憶をも操る事が可能だったのだから、出来るだろうと言えば、サンジは頷いた。
急に姿を消せば、心配し胸を痛めるだろう人達が周りにいる。そんな思いはさせたくなかったのだ。

それでも。

サンジのみか、それ以外の全てか。
サンジは選べと言ったのだ。
そして自分は選んだ。

「おれはちゃんと自分でこうして選んだんだから、それでいいんだ。お前が気にすることじゃない」
「……ゾロ」
その言葉に頬が綻ぶように微笑むサンジから、少し照れたように視線を外し、ゾロは木の根元へと寝転んだ。
そこへ、ゆっくりとサンジが覆いかぶさってくる。
外した視線の眦に接吻けられ、ゾロは瞳を閉じた。
そのまま瞼に落とされていた柔らかい感触が、唇へとやがて重なる。
合わされていただけの接吻けは、やがて深くなってゆく。上がる熱に促されるように、服の上からサンジの指が身体を弄り始めていた。しかし。
その指先が、ゾロの首筋で止まる。
「まだ残ってるな…」
そこに残る赤い鬱血を見たサンジは呟き、動きを止めてそれを見つめていた。
未だ消えてはいない、陵辱の痕。
それが多数残るゾロの肩口に、顔を埋める。
「ごめん」
酷い事をした、と。そう言葉にするサンジに、ゾロは小さく苦笑した。
「今更謝られても困るんだがな」
記憶が戻ってから、サンジの焦燥と苦悩も判ったからこそ言える。
「もういいから…」
促すように、自分から相手を抱き締めた。

この温もりを選んだのだ。
あの時、サンジを追ってやってきた学校の、桜の下で。





「おれか、それ以外か。…おれと行くか、ここに留まるか」

あの時。そう問われ、接吻けられた。
体重をかけられ、木の根元に押し倒された状態で見たのは、サンジの眉根を寄せた表情。揺れる右の瞳。
泣き出しそうにすら見えるその顔が、心に突き刺さるようで、思わず手を伸ばした。
見下ろしたままゾロの答えを待つように動きを止めていたサンジが、頬に添えられた手に促されるようにゆっくりと近づいて来る。
絡んでいた視線を二人とも閉じ、また唇が触れた。
触れては離れ、何度も繰り返される。

「…サンジ」


僅かに離れた唇の間から、ゾロに小さく名を呼ばれる。思い出してもらえた、真の名を。
それだけでサンジの胸は熱くなる。だが。
────ゾロが自分を選ばなかったなら、その時は。
この手を離してやる事は出来るのだろうか。
記憶を取り戻したゾロの心が、自分に向いていたのは判った。それが、どうしようもなく嬉しいと思う。
だが、ゾロは迷っている。サンジを一度裏切ったのだと。
そして、もしかしたらこの生まれ変わったゾロの心は、過去の自分を好きだったというその頃とは、変化があるかもしれない。
問いただしたのは、答えを求めたのは自分なのに、ゾロの言葉が怖い。
思い出したゾロなら、自分の求める答えを出すだろうと信じる期待感と、手に入らないかもしれない不安感が心でせめぎ合う。
唇が離れた後、視線を合わせたまま、ゾロは暫く黙っていた。
その沈黙が、サンジの不安を煽る。だが、答えを促さずにサンジは待ち続けた。


「おれは……」
決心したように、ゾロはサンジの頬に触れていた手を首へと回し、引き寄せる。
心は決まった。
思い出した過去に心を引き摺られているのでは、という迷いはある。だが、間近で見る相手の表情に、言葉に、こんなにも心を揺さぶられるのは、まぎれもなく過去ではなく現実の自分なのだと思う。
記憶を操られていたとはいえ、長い間友人として傍にいたのは本当で、彼に心を許していたのも本当で。
それに、過去であろうと現代であろうと、自分は自分で、この男の傍に今後もいたいと思う心も確かに自分のものだと断言出来る。
だから。
その手を取れば、他の全てを失うのだとしても。

「お前を選ぶ────サンジ」

それでも、全てをこの男に与えたいと思った。
過去に与えられなかった分、この先の未来の自分を、全て。


そう告げた瞬間、ゾロは強く抱きすくめられていた。






長かった。
サンジにとっては、きっともっと永かった時を越えて。
今こうして傍にいる。

「忘れんなよ、全てと引き換えにおれはここにいるんだ」

呟くゾロの言葉に、向けられる笑顔。
それが、何よりも嬉しいと思う。
遠い遠い過去でも、幼馴染みとして過ごしていた現代でも。
いつもどこか孤独を纏っていた男。思えば、心からの笑顔を見た事がなかった。
手に入れたそれを、もう二度と手放すまいと誓う。




満開の桜の下で。






─────永い永い冬は終わりを告げ、桜の春は巡り来る。







随分時間かかってしまってすみません;
ええと、この話は2001年に出した同人誌の手直し版となります。
本では、一部漫画で描いてました…|||||
当時の後書きてゆか言い訳はこんな感じで;→

同じく後記から、馬鹿設定4コマ(別窓)→
ついでに
漫画部分でどうしても小説に変換出来なかった部分。
なんとなく悔しいんでここで=▽=;(別窓)→



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