私の心に在る、彼に対する愛という感情は、常に矛盾を孕む。
親として持つ、見返りを求めない無償の愛情。
対して存在する、彼の心も身体も自分だけが所有したいという、独占欲に塗れた愛情。
後者は、他者に言わせれば劣情なのかもしれないが、愛しているからこそ欲するのには違いない。
同じ「愛情」という言葉で表す感情でも、あまりにも違う。
その矛盾に、未だ戸惑う事はある。




その日、シンタローの帰りは遅かった。
秘書達もとっくに下がり、住み込みの使用人達も別棟の自室へと戻った、深夜にも差し掛かろうかという時間。
「おかえり」
「………」
まず最初に、いつも通り深い眠りについている弟の部屋へ寄り、その後居間へとやってきた、赤い総帥服に身を包んだシンタロー。
どうやら、少々機嫌が悪そうだ。大好きな弟の安らかな寝顔を見た後なので、多少は緩和されているのかもしれないが、それでも私の挨拶にも無言で返事をしない。
私自身がよく彼の機嫌を損ねさせるが、今日のこの態度は、私が原因ではない。
原因は予想がついている。仕事関係だろう。
本日の彼の仕事は、私の秘書から聞いて知っている。隣国首脳陣と、領土の境界線についての会議があった筈。過去から幾度か話し合いを行っているものの、なかなか解決しない難題の一つだ。
特に、隣国のトップに座る男とシンタローは性格的に合わないようで、会談がある度不機嫌になって帰ってくる。精神的に疲れてしまうのだろう。元々、駆け引きと謀略の渦巻く話し合いが得意な性格ではない。
それでも、会談内でこちらに不利な結果を齎すような真似はしてはいないだろう。直線的な性格ではあるけれども、本質は頭が良く機転の利く子だから。その点では信頼を置いている。
だから、今日の会議については何も聞かず、お疲れ様とだけ声をかけた。
その言葉にも返事はせず、シンタローはブーツを脱いで居間のソファに寝転び、問いかけてきた。
「グンマとキンタローは?」
「団の研究室に篭もってるよ。今夜は帰ってこないんじゃないかな。何でも、開発中の物質転送システムのトラブルが……」
「ああいい。その辺の事は俺よく判んねーし」
私の答えを、ひらひらと手を振りつつ遮る。そう、と頷いて私は話を変えた。
「ご飯、食べるなら用意するけど」
「いい、食べてきた」
「疲れてるみたいだね。お風呂入って寝るかい?」
「そーする…」
頷きながらも、彼は相変わらず寝そべったまま動かない。
瞳は閉じられているが、寝ているわけではないのは、気配で判る。

これは、小さなサインだ。

本当に疲れ切って、私に構われるのを鬱陶しがっている時は、私のいる部屋になど来ない。真っ直ぐに自室に向かい、閉じ篭ってしまう。
こんな風に、傍に留まる時は。
恐らく本人も無自覚な、僅かな僅かなシグナルを発している。

「シンちゃん」

ソファの傍らに立ち、上から覗き込むように呼びかけると、閉じられていた瞳が緩慢に開いた。
漆黒のその色に、吸い込まれそうになる。
ソファに乗り上げるように体勢を変え、間近でその瞳を覗き込んだ後、瞳を先に閉じ唇を重ねた。
ほんの数秒、黙って受け入れていた彼は、顎を引き唇を離し、「やめろ」と小さな声で制止を促した。ゆっくり上げられた手は、私の胸の辺りで押し退けるような動きをする。
だがそれは、本来彼が持つ力からすると、あまりにも弱いものだ。
だから私は行動を止めない。
「最近シンちゃん忙しくて、あんまり話してないね」
前髪を払うように柔らかく額を撫で、頬や唇に口づけながら、話しかける。
淋しかったよ、と。まるで甘えるかのように囁いて接吻けて。
しょうがねえな、ホントあんたは。…という呟きが、耳元で聞こえる。
「こんなとこで、がっついてんじゃねーよ…」
「誰もいないよ」
「………そうじゃなくて…ッ、ん」
言葉では、あくまで抵抗を示す。だが衣服をはだけさせ再び唇を重ねると、ゆっくりと首に腕を回してくる。
まるで私を引き寄せるかのような行動に、誘われるように唇を深く貪った。
舌を絡めると、僅かにだが応える仕草を見せる。どうしていいか判らないといった風に、舌どころか身体中を硬直させていた最初の頃に比べると、随分反応も柔らかくなった。
全て、教えたのは私だ。
首筋に唇を移動させ、痕が残らない程度に吸い上げると、ぴくりと肩が跳ねた。
「人の話聞かねーな、あんたは」
唇を尖らせ、不満を零す。
聞いているよ。お前の声は全部。
「やだって、言ってんだろ。疲れてんだから…」
言葉は全て、拒絶まではいかない軽い拒否。
嘘つきだね、という言葉は心の中で呟くに留めておく。
「駄目。あんまりパパに淋しい思いさせないでよ。こうして、ずっと触れたかったんだから」
顔を上げ目を合わせ、こう言うと。自分勝手だの何だの、文句を言いながらも許容する。今この時、主導権は自分が持っていると彼は信じているようだ。

自尊心の強いこの子は、無意識に私に甘え、癒されたがっている事を決して認めないだろう。
それは、こんな性的な接触を望んでいるわけではないかもしれない。
会話をしたいだけかもしれない。仕事の疲れで、愚痴でも言いたいだけかもしれない。
しかし。
この手で、人肌の安心感と快楽を教え込んだ身体は、私の接触に簡単に反応を返し出す。

「愛しているよ」
囁く言葉は確かに真実で、腕の中の子は疑いもしない。
私のその言葉の意味を、理解しているのかは判らないが。

愛情によるこの行為は、与えているのだろうか。奪っているのだろうか。
未だ、その疑問に答えは見つからない。




狭いソファでは嫌だと言うシンタローの言葉に、私の寝室へと移動する。
抱き締め、広いベッドに押し倒しても、もう抵抗はなかった。
私の背に、ゆっくりと腕が回される。

例えば。
今後もしこの子に愛する人間が出来て、添い遂げる意思を告げられたとしたら。
親としての私は祝福するだろう、と思う。
しかし、嫉妬に狂い何をするか判らない、とも思う。
どちらの行動も愛情に因るものなのに、齎される結果はあまりに違う。
様々な矛盾を抱えて「私」は成り立っている。
彼を自分だけのものにして、この腕に閉じ込めておきたいと切望する、私の中の歪んだ愛情が、この行為へと駆り立てたのが、思えば最初だった。
しかし、それにより新たな焦燥も生まれる。
愛する子にまで押し付けてしまった、罪悪感。
自分一人で、畜生道に堕ち罪人となるなら、何も感じはしなかったのだけれど。息子に対しては、迷い後悔することが度々ある。
シンタローに対しても、コタローに対しても。
あの時、ああすることは、正しかったのか。それとも間違っていたのだろうか。
そんな風に、後から後悔する事もあるし、先に逡巡が付き纏う事もある。
腕の中の子は、恋愛感情からこの行為を許すのではなく、親への思慕と安心を求めているのだろう。それは、こちらに向けられる不器用ながらも純粋な愛情で、私の中に在る罪悪感を煽り続ける。

「……何だよ?」
腕の中から、僅かに戸惑いを孕んだ、憮然とした声があがる。
ほんの少し、意識を逸らしていただけで。鋭い子だと苦笑しつつ、耳元で謝罪を口にした。
「ちょっと考え事してた。ごめんね、シンちゃんといるのに」
「………」
私の目を見つめ、何か言いたそうに開いた唇に、己の唇を重ね塞ぐ。
すかさず再開した愛撫に、触れ合ったシンタローの唇から、小さな吐息と喘ぎが零れた。




「く……っあ、…!」
堪え切れなかった嬌声は、艶を含んで快楽を現している。
その声を聞かれるのが嫌なのか、咄嗟に口元を押さえたシンタローの手を取り、ベッドへと縫い止める。
そのまま、指を絡ませると、ぎゅっと握り返してきた。
「……シンタロー……」
吐息まじりの声で、耳元に名を囁くと、身体が震え波打つ。
その振動は、体内へと挿入している私自身に絡み付き、締め上げる。
柔らかく解れたそこは熱を持ち、更なる快楽を求めて奥へと私を誘っていた。
「あ、────ッ!!」
その誘いのままに体内を激しく穿ち、最奥まで突き上げると、シンタローは小さく悲鳴を上げて絶頂に達した。
同時に私の欲望の証を、その体内に注ぎ込む。
ごめんね、と。
己にすら聞こえるか聞こえないかの小さな呟きは、ぐったりと寝具に沈み込み、未だ意識が朦朧としている様子の彼には届かないだろう。




汗に濡れた身体を拭き、後始末をしてから寝衣に着替えさせようとしていると、シンタローは閉じていた目を開き、「自分でやる」とその手を遮った。
「お風呂はどうする? 温めてあるけど」
「…起きたら入る…」
意識は戻ったとはいえ、先程の行為で疲労は増しただろう。瞼が半分落ちた目は実に眠そうで、手元も少し危うい。本人は不満そうだったが、ボタンかけだけ手伝った。
衣服を整え終わると、途端にぱたんとベッドに横になる。
「おやすみ」
「…………」
かけた言葉に、返事は返ってこなかった。余程疲れて即座に眠ってしまったのか、単に無視したのかは、私に対して背を向けているから判らない。
私の方はというと。愛しい相手との交歓で身体は満足しているものの、神経が興奮したままなのか、まだ眠気は感じなかった。
寝酒でも用意しようかと、ベッドを離れた時。

「判んねーな」

唐突に背後から上がったその言葉に、軽い驚きと共に振り向く。だが、シンタローは相変わらず背を向けたままで、その表情は測れない。
「シンちゃん、起きてたの」
判らないって、何が。
そう問おうとするが、それより先にシンタローの呟くような声が部屋に響く。
「好き放題に手ェ出してくるくせに、俺が嫌がらないと変になんだから、あんたってよく判んねえって事」
今度の驚きは先程より強く、心に衝撃を齎した。
気づかれているとは思わなかったのだ。
シンタローからこの行為に誘った事は、今まで無い。ただ、今日のようにほんの小さなサインを見せることはある。
私の腕を欲していると。
そういう時は、私の中に在る「矛盾」が頭をもたげ、それは葛藤へと変わる。
本当は、私に囚われる事を望んでいるのではないか、と。
そう考えるが、それは私の中の歪んだ愛情が望む思い込みではないか、とも思う。
そして自分はどちらを望んでいるのか。
だが。
「何、なんかパパ変だった?」
私の口から出たのはこんな、誤魔化すかのような明るい口調の台詞だった。
「…………」
聞こえた小さな吐息は、呆れによるものか、諦めによるものか。
次に放たれたのは、独り言にも聞こえる、低く幽かな言葉。
「何で俺に謝るんだか…」
意識を失っていたと思っていたが、あの時に呟いた私の言葉も聞いていたようだ。

鋭い子だとは思っていたが、彼は私をどこまで見抜いているだろうか。

暫く、その場に沈黙が降りる。
それを破ったのはシンタローの方だ。
「近親相姦が禁止されているのは、血が濃くなるからだろ」
突然、そんな事を言い出す。
「だとしたら、あんたと寝ても問題ないじゃん…」
近親同士で子を成し、血が濃くなればなる程、遺伝子には異常が発生しやすくなる。
しかし自分達は、例え本当に血が繋がっていたとしても、子孫など出来やしない。
「なーんも、悪いことなんてしてない……多分」
「………」
それは、自分に言い聞かせるものではないだろう。あくまで、私に向けられているものだと感じた。
相変わらず顔はこちらに向けてはくれないから、表情は判らないけれど。
判ったことがある。
────許されている。少なくともこの子には。
シンタローは彼なりに、この関係にも疑問は持っていただろうけど、私にぶつけたことはなかった。

私の中で矛盾する二つの愛情を、葛藤を。彼はとうに知っていたのだろうか。
それでいて、何も言わずどちらも受け入れていたのだろうか。
どちらの愛情をも身の内に住まわせる事。それは、罪ではないと。
他の誰に糾弾されても、例え神が許さなくても、私は全く構わないのだ。
…シンタローにだけ受け入れられれば、それだけで。

与えたい愛情と、奪いたい愛情。
そのどちらも受け入れ、求めてくれるのならば。私の中の葛藤は消える。




「シンちゃん、愛しているよ」
「……ああ」
ベッドに戻り、シンタローに寄り添うように横になる。
あくまでこちらを向いてはくれないので、その項に頬を摺り寄せ、黒髪に顔を埋め囁いた。万感の想いを込めた告白に、彼は頷いてくれる。
それは同じ言葉ではないけれど。私はそれでも満足し、お休みと会話を収束させた。

私は幾度も「愛している」とは言ったが、一度だって「愛してくれ」とは言ったことがない。
シンタローも、その言葉は言わない。私への想いを明確にすることはない。
だが、それでもいい。
愛している事を、許してくれるのなら。



それだけでいい。



大人なパパと甘えんぼシンちゃん。
甘えんぼパパと大人なシンちゃん。
表裏一体ですよーと。
しかし下手にパパに葛藤抱えさせたら
収集がつかなくなりましたすみません;
それにしても。
うちのシンさんは、本当パパ大好きですねい…。

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