「兄貴ー金貸してくれー!」

久々に足を踏み入れる我が家。
近年はあまり帰ってきてはいなかったが、それでも勿論遠慮などある筈がない。
そんなハーレムが真っ先にやって来たのは、長兄であるマジックの部屋だった。
マジックも留守がちなのだが、本日は在宅していると事前に調査済みだ。相も変わらず軍内の盗聴は完璧だ。
ばんっと豪快に扉を開け、同時に言い放つ、兄に対する遠慮のない金の無心。こんな光景は、ハーレムが帰ってきた時には珍しくもない。
そんな彼に向かって、常なら呆れた視線を向けてくる長男の姿が、部屋の中に見える筈なのだが。
今日は、いつもとは違った。

瞬間、ハーレムの視界に飛び込んできたのは、ソファに重なる二つの影。
一瞬で判別出来る、彼にとってはよく見知った人物二人の。

「ぎゃあああああああッツ、ナマハゲーーーー!?」
「兄貴…ッ、って、シンタロー!?」
「ハーレム……部屋に入る時はちゃんとノックしろってお兄ちゃん子供の頃あれほど…」

ソファから立ち上がり説教を始めたマジックの横を、その身体の下から跳ね起きたシンタローがばたばたと駆けてゆく。
呆然としていたハーレムの脇もすり抜け、部屋を飛び出して行く甥の姿。
真っ赤な顔と、シャツのボタンが幾つか外され見えた肩口にくっきりつけられた紅い痕が、一瞬でも判別出来た。



「兄貴、今の……」
「何だ?」
入室の際のマナーについてから始まり、英国紳士とはどうあるべきかと懇々と続いていた説教を遮り、呼びかけると。マジックは慌てる様子も無く問い返し、先を促す。
「とうとうやっちまったのか?」
身も蓋もないハーレムの言葉に、やはりマジックはうろたえもしない。
「さっきのスキンシップのことか? 別に疚しい事は無いが」
マジックはにこやかに「疚しい」関係を否定するが、ハーレムの脳裏には先程の光景が焼き付いている。
……あれはどう見ても、正しい親と子のスキンシップには見えなかった。

「…口にキスしてたよな」
「シンタローが赤ん坊の頃からしてるだろう、おまえも知っている筈だが」
「ソファに押し倒して?」
「童心に戻ってプロレスごっこを久し振りにね」
「服の中に手入れて?」
「おなか痛いっていうから摩ってあげてたんだ」
「思いっきりキスマークつけて?」
「ああ、あれ虫に刺されたんじゃないか?」
「………タチ悪ィ虫らしーな」
埒が明かない。というか無茶苦茶だ。
暖簾を必死で押しているような状況に、ハーレムは兄への追求を切り上げ、踵を返し扉に向かいつつ言い放った。
「いいや、シンタローに聞くわ。アイツ、こーいうの誤魔化せねーだろうし」
「あー待て待て。判った、認める。だからシンちゃん苛めるんじゃありません」
大げさに溜息をつき、マジックは漸く白旗をあげた。
「まだ衣服も着ていたし、シンちゃんも、慌てなければいくらでも誤魔化せたのに。まだまだ修行が足りないなあ」
「んな修行する機会、普通はねェんだよ。ていうか兄貴何してんだよ…」
「血は繋がってないし、世間的に同性愛も認められつつある昨今だし、まあいいじゃないか」
「……手ェ出したの、血の繋がり無いこと知ってからだろーな?」
「……………………」
沈黙は否定を表す。
ああ駄目だこの兄。とうとうやったか。まあ、あの阿呆みたいな可愛がり方を考えれば、おかしくもないのかもしれない。いやおかしいか。そもそも血の繋がりは無いと言うが、誰よりもシンタローを息子として認めているのは兄貴本人だろうに────。
などとハーレムの脳内に様々な思考やツッコミが渦巻くが、実際口に出た言葉は

「で、話戻すけど金貸してくれよ」

だった。
しかし当然、マジックからYESという返事は返ってはこない。ハーレムに向けられている視線は、「またか」という呆れを雄弁に物語っている。
「答えは判り切っているが、使い道は?」
「明後日の、」
「却下。その前に団の三億円返せ愚弟」
「まだ何も言ってねぇ!」
「聞かなくても判る」
「じゃあ聞くな!! くそッ、あんなん見られてちッとはうろたえろよ! ふつーなら口止めとかで希望のひとつやふたつ聞くもんだろッツ!!」
「うろたえるも何も、私自身は誰に見られても、世界中に言いふらされても構わんよ。むしろ皆に知ってほしいぐらいだ。あの子は私のものだとね。でも、シンタローが嫌がるからやらないが」
見事と言いたいぐらいの開き直りだ。こうなるともう、ハーレムには二の句が継げなかった。
関係を隠すのは、シンタローが拒否するから。本当に、彼にとってはただそれだけなのだろう。
あんな目撃談など脅しの材料にもならないと自覚し、兄の援助を諦めて、次回の競馬の掛け金は部下の給料から捻出することにしたハーレムだった。



実際の所、ハーレムはわざわざマジックにたかる為に、故郷イギリスまで戻って来たのではない。
ガンマ団から特戦部隊に依頼があり、隊長として新総帥であるシンタローと、その詳細を話し合う為に来たのだった。
英国に到着したはいいが、その時点では、団での会談予定にはまだ時間があった。
その時間を有効に使おうと思い、家へ金の無心に乗り込んだのだが、そこで思いがけない事態を目撃をしてしまった、というのが今までの状況。

そして、先程のごたごたから数時間後。
会談の予定時間は訪れ、団内で叔父と甥は再会していた。
「よォシンタロー、わりィな、さっきはジャマしてよー。おかげで欲求不満だろ」
「ううううるせぇッ!! それより、契約内容の書類だ見とけッ!」
会うなりハーレムの揶揄が飛ぶが、シンタローは眼光鋭く睨みつけながらも、きちんと書類を手渡してくる。しかし、さすがにその顔は赤い。
あんな出来事の後で顔をこうして合わせるのは、自尊心の強いシンタローにとっては、とてつもない苦痛に違いない。それでも、先程の自宅でのように逃げ出す事もなく、きちんと会談に臨むのは、総帥としての自覚ゆえだろう。
叩き付けるように手渡された書類に軽く目を通しつつ、ハーレムは密かに笑う。
唯我独尊を地で行く俺様気質な甥っ子だが、根は生真面目で課せられた役割から決して逃げない辺りは、そういや父親であるマジックに少し似ているかもな、などと考えていた。
「ァん? こりゃ結構大きな役目じゃねーか。腕が鳴るぜェ〜」
「…やりすぎんなよ、テメ」
書類に落としていた視線を上げ、ケケケとばかりに凶悪な笑みを見せた叔父に、一抹の不安を感じた新総帥は、一応の配慮を求める。
なまじ実力がありすぎる程ある人物が揃う特戦部隊だけに、命令を下せば確実に成果を出すが、出しすぎてむしろ団にとっての損害になる事も多い。
壊さなくていいものまで破壊し尽くす、過激な戦いを度々繰り返し。そんな出来事が積み重なって、後にガンマ団を追放される事になるのだが、この時点の部隊はまだ団の直属だった。

「おシゴト話はこれでしゅーりょー!ってナ。…で、シンタロー、さっきの事なんだがな」
「そっその話はいい! 仕事の話に来たんだろーが!」
「マジックに手篭めにされたってマジか?」
「…………は?」
突然のハーレムの問いはあまりにも予想外のもので、ぽかんとした表情でつい問い返す。
しかし続く叔父の言葉は、シンタローにとっては益々予想外だった。
「『シンちゃんがあんまりにも可愛いから、つい無理に自分のものにしちゃったんだよねー』って、兄貴のヤツがオマエの人形に頬擦りしながら言ってた」
「───っ、あの馬鹿ッ!」
思わずといった風に罵りの言葉を口にするシンタローに、向けられるハーレムの視線は、思いがけず真剣みを帯びていた。
そんな彼に、確認するかのように、
「違うのか」
そう問いかけられ、シンタローは首を強く横に振る。
声には出さないが、違う、と否定するその行動。
「まぁなー、確かに兄貴なら無理矢理ヤれない事もねェだろーけど、オマエの方もそんなん簡単に許すタイプでもねーし…」
許すどころか、合意も無くそんな事をすれば、どれだけ険悪な状態になるだろうか。ハーレムとしては甥っ子のやたら高いプライドを知っているだけに、そう思う。
しかし、少なくとも南国の島から戻ってから、マジックとシンタローの関係は良好なようだった。
自分一人が悪者になる事で、息子をかばおうとでもしたのだろうか。
開き直っているようで、それでもシンタローの意思を尊重して、親密すぎる程親密な関係を黙っていたマジックなら、有り得るのかもしれない。
だがしかし。
シンタローにわざわざこうして確認を取らずとも、マジックのそんな言葉が偽りだなど、本当は充分に察する事は出来たのだ。

「無理強いする相手に対して、あのカオは出来ねーよなァ」
「顔?」

呟いたハーレムの言葉の意味が判らず、シンタローは問い返す。
「俺がドア開けた瞬間の、おまえの表情」
「ッ、それ以上言わんでいいッツ!!」
先の言葉が読めたらしく慌てて怒鳴りつけてくるシンタローに、ハーレムは意外そうな視線を向ける。

…へぇ、コイツ自覚あんのか。

昨今の団内で随一の実力を持っていたこの甥は、反射神経も状況に対応する能力も勿論人並以上。それなのに、自分が踏み込んだあの一瞬に、全く何の対処も出来ずにいた。
それだけ、目の前の男───マジックしか見えていなかったのだろう。
その腕の中で、普段の彼からは想像もつかない程、甘く蕩けきった表情を見せていて。
あれで無理矢理もへったくれもないだろう。
というかむしろ。

「おめー、ホントに好きなんだなァ…」

ハーレムとしてはからかうつもりではなく、ほぼ無意識に呟いた言葉だった。
しかし普段の甥に対する態度が態度なだけに、彼は揶揄されたと受け取ったようだ。赤い顔を更に耳までユデダコのように赤くし、睨みつつ怒鳴りつけて来た。
「悪いか!?」
「へ」
「好きだったら、何か悪いかよ!?」
……おいおい、コッチも開き直りやがった。
シンタローの喚叫に一瞬唖然としたハーレムだが、
「悪いも悪くないもあるか、オマエらで勝手にしろ」
そう言葉を返す。
「マジックには言うなよ!」
目尻を上げ言い放つシンタローの口止めは、顔が赤いせいかあまり迫力はない。
こんな状況で相手を脅せると思ってるのかオマエは、と内心思いつつも、ハーレムは言わねェよと答えた。
言わなくても、あんな表情と態度を常に見せているのだったら、マジックは判っているだろうから意味が無い。

目撃してしまった事態により、何だかんだで二人から遠回しに惚気られているような気がして、複雑な心境に陥ったハーレムだった。




「はーやれやれ。疲れた一日だったなァ」
団の建物から退出したハーレムは、車を使わずに歩いて外に出た。
レンガ造りの古い建物や噴水のある公園。目に映るこの辺りのそんな景色は、昔とそれ程変わりは無い。
子供の頃にも、ここはよく通っていた道だった。
兄に手を引かれ、あの公園に連れて行ってもらった事も、何度もある。
ハーレムの脳裏に、過去の風景が浮かぶ。

団の総帥となるまでのマジックは、厳しい面もあるが、内面は人間味溢れる優しい兄だった。
しかし父が死に、まだ十代前半の年端もいかない身で総帥の座を継いだ彼は、目に見えて変わっていった。
纏う雰囲気は冷たく鋭利な刃のようになり、子供だった自分は正直なところ、そんな兄がとても怖く思えたものだった。
それでも兄弟という身近な立場で、ずっと見ていたのだ。

彼が幾度か大事なものを作り、そして失って傷つき、その度に益々冷酷さを増してゆくのも。
どんどん遠い人間になってゆくのも。

何も出来ないまま、ただ全てを見ていた。
そして反発し、兄弟は同じ組織内に在りつつも、長年顔も合わせない程疎遠になっていった。



「シンタロー」
「…何だよ」
執務室から退出する時、振り返りシンタローに声をかけた。
それまで話していた内容が内容だけに、固い声で問い返す彼に、ただ一言だけ。

「マジックを裏切るなよ」

それだけを最後に伝えた。心の中で、お前だけは、と呟きを足す。
はあ?と、問い返す声と、首を傾げる仕草。
扉を閉める瞬間にそれを確認した。
言われた意味が判らないというか、そんな事を考えたこともないのだろう、あの甥っ子は。
どれだけ、あの兄が人を裏切り、裏切られてきたか。多分彼は何も知らない。
シンタローが生まれ、マジックは随分変わった。ハーレムとしては、予想もしない方向に。
多分、それは良い事だったのだろう。
どこかネジが外れたのでは、とすら度々思えるようになったマジックだが、人間味を取り戻した彼は今きっと幸せなのだろう。

世界すら手に入れかけ、でも心は確実に破滅に向かって進んでいた。
そんな男が、生き方を激変させるような相手に出会ったというのなら、例えそれが手ずから育てた子だろうと、構わないかもしれない。
それに。
───幸せそうな兄を見るのは、悪い気分ではない。

そういや幸福な人間は、他人に幸せを分け与えたくなるというではないか。競馬の資金も、気が向けば出す気になるかもしれない。
…可能性は低いが。


そんな事を考えつつ、ハーレムは懐かしい道をゆっくりと辿り歩いて行った。


お〜〜いおいおいおい…お〜い甥。
えー…ダジャレでした。さむさむ。
シンさんが実にめろめろしている…。

マジ←ハム入ってないかコレと聞かれたら、
気のせいだと答えます。ハイ。多分…。

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