「ひどいよーシンちゃん…」


いい年した男が、べそべそと顔を手で覆いながら嗚咽を漏らしている。が、嘘泣きなのは明白だ。
「うるさい、泣きマネやめろ!よけームカつくから!!」
そんな男に向かって飛ぶ罵声。
マジックとシンタローの間では、ありがちとも言えるこの状況。

「どーしたのシンちゃん? またおとーさまと喧嘩?」
シンタローの怒鳴り声を聞きつけたらしい、同じ家に住むグンマとキンタローが、二人のいる居間へとやって来た。
「シンタロー、痴話喧嘩は犬も食わないと言うが」
「そんなんじゃねー!」
痴話喧嘩って何だ痴話って!?
宥めるような口調で言う従兄弟の台詞に問題を感じ取り、こちらにもシンタローの怒声が飛んでゆく。
「どうしたの、おとーさま。今回の原因は何?」
そう問うグンマに、マジックが「よよよ」とばかりに泣き付いている。
「シンちゃんがね…」
そんな台詞を背にして、シンタローは「やってらんねェ」と吐き捨て、足音を荒々しく響かせながら居間を出て行ってしまった。




痴話喧嘩は犬も食わない、なんて馬鹿馬鹿しい。
喧嘩でも何でもない。いや、喧嘩にすらならないのだ、いつも。
感情を荒立ててぶつけるのは、いつも自分の方のみなのだから。

自室へと戻り、自棄気味に身を投げ出したソファの上で。苦虫を潰したような表情で、シンタローは思う。

激しい感情をマジックからぶつけられたのは、コタローを幽閉され、それを責めた時に殴られたあの時ぐらいではないだろうか、と。
マジックから総帥の地位を継ぎ、もう数ヶ月。こんな年になっても度々、グンマ達からは「またなの」と言われるぐらい衝突はしている。
だが。

「シンちゃん怒らないでよー」
「落ち着いて話し合おうじゃないかあ…」

気に入らないのは、あの男はそんな言葉で下手に出ているようでいて、実際は自分の方が軽くあしらわれていると感じるからだ。
自分だけが感情を爆発させ、その波風が落ち着くのを、マジックは余裕を持って待っているような気がする。
そして、結局は「負けた」気分になる。


マジックに対して、余裕なんて持てない。
その時点でもう、負けていると思う。
ちくしょう。
すげームカつく。腹立つ。
悔しい。
親父の奴。
もっと俺に本気になればいいのに──────



「パパはいつでも本気だよ? シンタロー」
「うわ!」
心で毒づいていた筈なのに、いつしか感情の高ぶりに任せて低く声に出してしまっていた。
半ば寝そべるように、ソファの上で姿勢を崩していたシンタローの視界に、突然現れ声をかけてきたのは、今一番顔を見たくない男。
ソファの後ろに立ち、真上から見下ろしている。
部屋の明かりは消していた。窓から月の光が僅かに射し、室内は漆黒の闇に覆われているわけではないが、視界が悪いことには違いない。
それでも。暗いその中でも、はっきりと判ってしまった姿、表情、視線。
明るい金の髪と白い肌は、薄暗い空間にも映える。
闇をも支配するその色。

しまった…。

シンタローは思わず舌打ちしていた。
入ってきた気配も気づかないとは、不覚だ。過去には軍人として、暗殺者として、訓練を受けてきた。気配には誰より聡い筈だったのに。
こんな部分でも、この男には敵わない。
そう思うと、苛立ちが益々募る。そして先ほど聞かれた台詞に対して誤魔化したい気持ちもあって、つい大声で怒鳴ってしまう。
「何勝手に入って来てんだよ!」
「シンちゃんと仲直りしなきゃと思って」
「気配殺して入ってくんなッ!」
「そんな怖い顔しないで。部屋真っ暗だったから寝てるかもと思ったんだもの」
もし寝てたら起こしちゃ悪いしね、と言いながらマジックは、手近に設置されていたサイドボードの上のランプを灯す。
オレンジ色の明かりが、部屋をぼんやりと照らし出した。
蛍光灯よりは薄暗い明かりだが、それでも不機嫌に歪められた表情は相手に鮮明に見えてしまっているだろう。
「…もう寝る。出てけ」
「仲直りしに来たんだから、もう少し話そうよ」
笑顔で言われ、話すことなんかないと首を横に振る。だが、相手もやんわりとした雰囲気を纏いつつも、引く気配がない。
元々、怒った原因なんて些細なものだった。
それで一方的に自分が激昂していただけだ。マジックはわざとらしく嘆くだけで何も反論せず、言い合いにすらならなかった。
それで喧嘩と言えるのか、とシンタローは思う。
喧嘩というのは対等の立場で衝突するものだと思う。片方のみが怒り、片方にあしらわれるだけでは、喧嘩にならないのだ。
元々、この男に育てられた身だ。生きてきた年数も違うし、何も出来なかった赤子の頃から守り育ててくれた親と、ある程度の年齢で精神的に自立したとはいえ、長い間その腕に守られ生きてきた子供としての立場の差がある。
結局は、この男───父親には敵わない。
対等に、なんて無理なのは判ってはいるのだけれど。

「ムカつく…」

判ってはいるからこそ、もどかしい。
視線を外し、舌打ちしながら呟く。
そのもどかしさを、こんな言葉と態度でしか表せないのが情けない。
「そうやって、余裕ぶってるのがムカつく。あんた絶対、俺の言う事なんてマトモに聞いてないだろ。…何言っても、本気で怒らないし……」
マジックは、そんな心情を全部判っているかのように、ただ穏やかに笑いながら、シンタローが横たわっている大きなソファの端に腰掛け、語りかけてきた。
「ちゃんと聞いてるよ。……余裕なんてないよ、パパは本気でシンちゃんに嫌われたくなくて、いつも必死なんだから」
「………」
「だからシンちゃんに怒られて怖いとは思っても、怒ることはないよ?」
「…怖い?」
意外な言葉に、シンタローは思わず、逸らしていた視線を男に向けて聞いてしまう。
「シンちゃんに愛想尽かされるかもしれないと思うと、怖いね」
向けた目に映ったのは、笑みを浮かべてはいたけれど、どこか困ったような表情で、こう語る男の姿。

誰を敵に回しても、世界中の人間に憎まれても構わないけれど。
ただ一人、お前に嫌われることだけが、怖い。

そう続ける男の顔から今まで見せていた笑顔は消え、真剣な光がその目に宿っているのを、見上げるシンタローは感じていた。
「感情をコントロール出来なくなって、お前を傷つけてしまうのも怖い。私は前科持ちだからね」
「……」
過去には世界の覇王を目指し、全ての支配すら目論んだ男が、淡々と弱気とも取れるそんな言葉を、伝えてくる。
「……そんなの、あんたの勝手な都合じゃないかよ…」
だが、シンタローとしては簡単に納得は出来ない。
嫌われたくないと思うのも、傷つけたくないと思うのも、確かに男の勝手だ。
だがそれは、結局相手の気持ちを考えていない、自己満足だろうと思う。
配慮にもなっていない。逆に傷ついたのだから。
そう思うのに、伸ばされた手で頬を撫でられると、切なくなる。
自然と、こんな言葉を口にしていた。
「俺は、あんたに本音ぶつけてほしかったんだ…」
「今、ぶつけてるよ?」
激昂する感情だけが全てじゃないよ、と大きな手で触れられつつ柔らかい口調で言われてしまえば、もう黙るしかなかった。
敵わない。
やっぱりそう感じてしまう。悔しいけれど。
浅い溜息をつき、目を閉じた。

「ねえシンちゃん。これがパパの本音だから。パパが悪かったところは直すから。だからもう仲直りしようよ」

パパはお前と喧嘩したままなのは、嫌なんだ。
囁かれたそんな台詞に、喧嘩すらさせてくれなかったくせにと、反論しそうになるが。
言っても多分仕方ないから、目を閉じたまま、小さく頷いた。
閉じた瞳の向こうで、安心したように笑う気配がする。
そんな事を嬉しいと思う心が、結局は自分の本音なのだろう。
一方的ではない「喧嘩」をしたいと思ったのは、本当だ。
しかし恐らく、この男と真剣な「喧嘩」をしたら、それはそれで自分は不安になるのだろう。
この男だけが、自分の心の全てを支配する。
結局マジックの思いのままなんだろうと幾許かの不満がありながらも、こうして、節くれだった感情を宥められる気分も、悪いものじゃない。
そう思い、シンタローは頬に触れるマジックの手へと己から顔を摺り寄せた。



「キスしていい? 仲直りのキス」
「……勝手にしろ」
心とは裏腹に口から出てくる、ぶっきらぼうで、可愛げのない言葉と声音。シンタロー自身、自分のそんな態度を自覚していて、言った瞬間ほんの少し自己嫌悪に陥ったのだが。
しかし、マジックは心底嬉しそうに微笑んで、ゆっくりと寝そべるシンタローへ覆い被さってゆく。

オレンジの光の中で重なった影は、長い時間そのまま動かなかった。


何か……よくある話かもですみません;
落とし所が見つからずダラダラしてるのもすみません;;
そしてびみょーーーに、シンマジテイストが入ってる気が……
てゆか私がマジ←シン好きなんです……。

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