「溺れる」という言葉。
水中に捕らわれ、呼吸すら出来ず。苦しくて苦しくてただ藻掻く。
救いを求める手を取る者がいなければ、その先に待つのは終焉のみ。
そんな状態を指す動詞を何故
人は恋に心を奪われる時にも使うのだろうか。

想いに、溺れてゆく。
その存在の全てに溺れてゆく。

─────水面すら見えない程に、どこまでも。





某国にて開かれた会談に、少年は参加していた。
ガンマ団代表であり、団を統率する総帥という立場の彼は、他の参加者に比べるとあまりにも年若い。しかし、その人並み外れた才と手腕は、敵対するU国を征服した時に世界中へと知れ渡っていた。
誰もが彼に対し、一人前の成人と同様に接し、畏怖の視線すら向ける者もいる。
覇王として歩む道を約束された少年。

しかし、そんな彼に対して、ただ一人違う接し方をする男がいた。


「随分会議長引いてたね、マジック」

会議室の扉から出ると、少年の補佐官に当たる青年が待っていた。
「小型機の手配は出来ているか?」
ミツヤという名のその補佐官に、総帥であるマジックは問いかけた。
この国から彼らの祖国へ戻るには、本来なら飛行機を幾つか乗り継がなくてはならない。だが、それでは時間がかかりすぎる。
そして、総帥の座を狙う輩から暗殺される危険がある彼は、逃げ場の無い旅客機の使用はなるべく避けるよう言われていた。
ここに来る時も団専用の小型機を使用した。帰りもそうするには、この国の空港に離陸許可を貰わねばならない。マジックは青年にその確認を求めたのだが。
「ああ、ホテルの手配はしたよ」
「………は?」
広い廊下を歩いていた足を止め、横に立つ青年を思わずぽかんと見上げる。
「昨日も碌に休まずこの国へ来た上に、今日は長丁場だったから疲れただろう。身体を休めてから帰った方がいいよ」
「しかし、早く戻らないと…向こうにも仕事が……」
「狭い小型機の中じゃ休めないだろう? 効率落ちるだけだよ」
急ぎの仕事はそれ程無いよね、と柔らかい笑顔で言われるが。何分全くの予定外の事態で、簡単に頷く事が出来ないでいると。
「マジック」
突如、肩を押されて壁へと押し付けられる。
そのまま、耳元へ唇を寄せられて。

「はっきり言わないとまだ判らないかな? 君と二人きりで夜を過ごしたいって、誘ってるんだよ」
「…!」

囁かれた言葉にうろたえる内心を必死に隠し、判ったからとりあえず離せと命じる。
今、周りに人影は無い。だが、こんな場面を他人に見られたら一体どうすればいいのか。
羞恥と狼狽に顔が熱くなるのが、自分でも判る。そんな様を見て、ミツヤは笑いつつ手を離した。

他の人間がこんな狼藉を働けば、勿論許しはしないのに。 この男にはどうして強く言えないのか────────。
マジックは溜息をつきつつ、再び歩き出した。




予約されていたのは、この国では最上級のホテルだった。
室内に入ると、漸く疲労を自覚したのか、マジックは居間のカウチシェルソファへと沈み込んだ。
「何か飲む?」
備え付けの冷蔵庫を開けつつ、ミツヤが問う。
「何があるんだ?」
「えーと…冷蔵庫の中には、ミネラルウォーターとオレンジジュースとビール。あと、そこのテーブルの上にワインがあるかな」
「ワインがいい」
マジックの答えに対し、あと4年待たないとね、と笑顔で返す。
コップにオレンジジュースを注いでいると、「聞いた意味がない」と少年がぶつぶつと呟く声が聞こえた。

「じゃあ、ちょっとだけだよ」あんたも好きねェ〜♪ 加トちゃん。
「?」

密着するように隣に座り、グラスに注いだ深紅の液体を口に含みつつ、マジックの項へと掌を回し引き寄せた。そのまま唇を重ね合わせ、口移しで飲ませる。
「…ん」
受け入れたそれを、相手は抵抗する事なくごくりと飲み下すのが判り、ミツヤは唇を離した。
全て含む事が出来ず、口の端から僅かに顎へと零れていた液体を舐め取り、常よりも濃い紅色に染まった唇へと再び触れる。
舌を絡め、水音が響く程の深い口接けを交わしていると、角度を変えたその時に、眼鏡のフレームが僅かに相手の肌に当たった。それが不満だったのか、マジックは顎を逸らして唇を離し、手を伸ばしてきた。
フレームに指をかけ、ミツヤの眼鏡を取り外す。そしてそのまま、覗き込むようにじーっと相手の顔を見詰めていた。
「何?」
「いや…僕は近視になった事がないから、取ったらどんな風に見えるのかと思って…」
マジックの返事に思わず笑う。
「そうだね、僕は強度の近視だから、30センチも離れた物はぼやけて見えるかな」
「ふーん…」
これくらいか?と、少し顔を遠ざけて聞かれ、ミツヤは頷く。
丁度30cm程度の距離。顔が見えないわけではないが、やはり輪郭が多少ぼやけている。
「どれぐらいからちゃんと見えるんだ?」
「もう少し、近づいてくれないと無理だね」
その言葉に、マジックは素直に顔を寄せてくる。
「このぐらいか?」
「もう少し……」
そう言われ、僅か数センチ程度まで距離を縮める。そのマジックの顔は、本当はもうミツヤの視界には、はっきりと映っていた。
それでも、もっと、と促すと。
その意図を察した少年の方から、更に距離を詰め、ゆっくりと唇が重ねられる。
舌を絡めてきたのも、今度はマジックからだった。
上手くなったな、と。そう感じながらミツヤはそれを受けていた。

口接けも、それ以上の行為も。何度も繰り返しその身体に教え込み、己の痕を刻み付けた。
体内を犯される衝撃と苦痛に、痛ましい程に身体を強張らせて耐えていたのは、最初の内だけだ。
柔軟で無垢な少年の身体は、覚えも早い。

唇を合わせつつ、マジックの服の上から胸の突起を片手で探る。
人差し指の腹で柔らかく転がすように撫でれば、それだけでそこはすぐに硬く尖り、反応を返す。頃合を見て、若干強めに摘み捻った。
「……ッ…」
吐息が乱れ、思わずといった風に唇を離し首を逸らす。そんな彼の首筋に舌を這わせつつ、ミツヤはもう片方の突起へも手を伸ばした。
擽ったいからよせ、と最初は触れる度に散々文句を言っていた箇所。
いつしか、そこで快楽を得る事を覚えたようで、最近では触れてもらいたがるかのような仕草すら見せる事もある程だ。
今も、弄ぶ指を離せば、少し不満めいた切なげな視線を向けてくる。
至近距離にある、濡れ輝く青い瞳。
一族の者なら恐れを抱きつつも惹き付けられずにいられない、双眸の秘石眼。
最初に見た輝きを、その衝撃を、未だ忘れない。
彼こそが、この世界に君臨すべき覇王なのだと。ひと目でそう感じた。
そんな相手が今、その目に自分だけを映し、自分の腕を欲している。
その事実が、心に激しいまでの愛情と快楽を改めて呼び起こす。

逸る感情を抑える為、ミツヤは小さく息をつき、視線を向けるマジックの額に軽くキスを落とした。



寝室へと移動し、広いダブルベッドの上で服を脱がされる。
ジャケットのポケットから小さなチューブを取り出す相手に、マジックは呆れた視線を向けた。
見覚えのある、その道具。
「…用意が良すぎる」
「最初からそのつもりだったからね」
全く動じず、笑顔でいけしゃあしゃあと言い放つ男を軽く睨む。
その手に握られている白いチューブの中身は、ジェル状の潤滑剤だ。初めて抱かれた時から、ずっと使われている。
ジェルを纏ったその指に後孔を丹念に解される、その羞恥に耐え切れず、幾度かやめるよう言ったが、「使わないと痛いよ」と全く聞く耳を持ってくれなかった。
今日もそうなのだろう。
年は上だが立場は部下であり、普段は自分の命令を聞く男だが、こういう場面では主導権を渡す気は今のところ無いようだ。
口を尖らせ、僅かに非難を含ませた視線を向けても、柔らかい笑顔ではぐらかされる。
そんな表情を見ていると、溜息ひとつで全て許したくなってしまう。
重症だ、と。マジックの呆れは今度は自分自身へ向く。
そんな複雑な思いを抱えつつ座り込んでいると、寝具の上にそっと倒された。
「……ふ……」
組み敷かれた状態で、口接けられる。
深くなる接触に神経は昂ぶり、絡める舌に夢中になってゆく。飲み込みきれない唾液が顎を伝い首筋へと零れ落ちる、そんな感触にすら官能を煽られてしまう。
こんな接触も快楽も、少し前まで全く知らなかったのに。
抱き合い与えられる温もりは嬉しいと思うし、安心感もある。
けれど、未知の感覚に囚われ溺れていく後ろめたさと怖気は、どう言葉にして良いか判らない。
自分の上でジャケットを脱ぎ、シャツを自らはだけていた男に、手を伸ばす。
要求をまるで全て判っているかのように、その手は取られ、引き寄せられ。
そのまま抱き締められて、素肌が触れ合う。
その心地良さにマジックは漸く身体の力を抜き、全てを委ねて瞳を閉じた。



抱き締めた身体を、ミツヤは宥めるように撫で、その掌と指をゆっくりと腕の中の肢体へと這わせてゆく。
深い快楽を感じつつもそれに慣れきれない、未だ性的には未熟な心と身体を知らないわけではないが、それでも全てが欲しかった。
横たわらせた相手の全身に、舌と指で丹念に愛撫を施す。
他人を抱く時に、これほど丁寧に接した事はかつて無い。
触れられる箇所全てに触れ、その細胞のひとつひとつにまで、この手の感触を染み込ませたかった。
膝裏を持ち上げるように足を大きく広げさせ、身体の最奥を穿つ。苦痛をなるべく与えないよう、ゆっくりと。
潤滑剤で濡らし、丹念に慣らしたそこは、拒む事なくミツヤのものを飲み込んでいた。
「…ぅあ……!」
律動に翻弄され、噛み締めていた唇が開かれる。
そんな彼の体内の最も感じる箇所は、既に覚えていた。そこを幾度も突けば、背を逸らして泣き声のような悲鳴を上げる。
他の誰も見た事のない痴態。自分の手でそれを引き出し、視界に焼き付ける事に熱い高揚感を覚え、ミツヤはその耳元で囁いた。
愛している、と。
耳朶に触れるそんな言葉と吐息にすら煽られるのか、マジックの身体はびくりと震え、後孔の粘膜が引き絞られるように蠢動する。
それは二人へと同時に淫猥な快楽を与え、極みへと誘導して行く。
「……君は…?」
熱い息を吐きつつ、問う。その声に瞼を上げた相手は、激しく乱れた吐息の下からも、言葉を発しようと必死に試みているようだった。
「ぁ……、…は…ッ……」
しかし声にならず、苦しげに浅く速い呼吸を繰り返す。
思い通りならない自らの身体へのもどかしさからか、すがめられた眦に雫が溜まり、こめかみへと零れた。
そんな様子に愛しさと憐情を覚え、ミツヤは相手の唇を指で軽く押さえ、発言しようとする行動を留まらせたが。
その指に、僅かな唇の動きだけで伝えられた言葉。

声にならないそれは、確かに先程の問いに対する返答だった。


汗ばむ躰に溺れ、与え合う愉悦に溺れ。
快楽の頂点に迸りを散らし、抱き合いながら寝具に沈み込むまで、淫靡な交歓の時は続いた。



腕の中に眠る相手の、金の髪を緩やかに梳く。
先程までとはまるで違う、穏やかな時がそこには流れていた。
朝までは長い。
彼の疲れた身体を癒すには充分だろう。時計を見つつミツヤは思う。
ベッドの上での行為は、時間にして30分も経ってはいない。あまり疲労を重ねさせないよう、これでも手加減したのだ。
想いと欲望のままに貪れば、まだ壊れてしまいそうな、成長途中の身体。
全てが欲しいとは思うが、決して壊したいわけではない。
ただ愛しくて。傍で、大切に守り続けたいと願う。
この手でずっと。

「愛してるよ、マジック」

耳元で囁く言葉に、眠る相手は小さく身じろぎをするが、起きる気配はない。
その眠りを妨げる気はないミツヤは、愛しい存在を深く腕に抱き締め、共に眠るべく自らも瞳を閉じた。





溺れてゆく。
水面の光が遠ざかり、藻掻いても脱出できない、何もかもを遮断した暗黒の底へ。
想いに溺れ。
その存在の全てに溺れ。
愛する者以外は何も見えない、底の底へと囚われてゆく。


それすらも至上の快楽なのだと、腕の中の少年も、いつか気づく日が来るだろうか。



…ひとつの話の中でこんなに「愛」って単語
打ったの初めてだと思います…。
他にも普段使わないアレな単語いっぱい…
そしてポエ夢だらけな文。最初から最後まで。
ぐあああはははずかしいやつらめー|||||
(あんたがだよ…と己ツッコミ入れつつ)

作中に一人芸人がいます。隠しでばか4コマとか。


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